当時日本ハムGMだった山田正雄氏が「この性格はプロでやる上でプラスになる」と確信した決定的瞬間
中学時代の担任もまた大谷の性格を心配したひとりだった。困っている子がいれば助け、物を忘れた子がいれば自分の物を貸した。
シニアで飛び抜けた実力を発揮しても、中学の野球部の試合には「出ない方がいい」と言う。練習時には自分から進んで球拾いをし、ノックの球出しまで買って出た。
プロ野球選手といえば、オレがオレがの勝ち気なイメージ。少しくらいテングになる方がいいのではないかという気もしていた。なのでプロでやっていくには、大谷は優し過ぎる気がしたという。担任のそんな心配はしかし、杞憂だった。大谷の実力が投打で突出していたことはもちろん、投げて打って1人で2人分の仕事を掛け持ちできたのは、ナインの理解を得ていたからこそ。周囲に敵をつくらず、年上にもすんなり溶け込める末っ子気質がプラスに作用した。(つづく)
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大谷が日本ハムから海を渡る際、球団選びで最も重視したのが「西海岸かつ小規模都市」ということだった。それは人間性やスタンスが如実に表れたと言っても過言ではない。
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