京都の怪腕 斉藤和巳をチェックした「選手を丸裸にする指定席」 あえてバックネット裏を避けていた理由
「1995年夏の京都大会で平安(現龍谷大平安)の1年生左腕の川口知哉に投げ勝つと、準々決勝まで進みました。川口はその2年後、春夏甲子園に連続出場し、同年ドラフトでオリックスに1位指名された。その川口に投げ勝った試合には、私も含めてスカウトがいーっぱい集まりました。20人はいたと思います」
鈴木がこう振り返るのは、京都ナンバーワン投手といわれた南京都(現京都広学館)の長身右腕、斉藤和巳(現ソフトバンクコーチ)のことである。
「192センチとデカいし、投げ方も抜群に良かった。柔らかいフォームでね。ボールが伸びる。斉藤の数年前にヤクルトに行った伊藤智仁(三菱自動車京都=92年1位)も肩、肘の関節が柔らかくてスライダーが抜群に良かったですけど、斉藤も素晴らしい素材でした」
しかし、その年の西武は高木大成(慶大)をドラフト1位指名する方針があり、ダイエーが早々と斉藤を単独1位指名したため、獲得には至らなかった。
「学校に調査に行って、監督にもお会いしました。当時は男子校で、ボクシング部が強いのは有名でした。結果的に斉藤との縁はなかったですけど、プロ入りしてすぐ(98年)に右肩を手術しましたよね。その後20勝をマークするわけですけど、もったいないなぁと思って見ていました。体や関節が出来上がる前から、投げさせ過ぎたのでしょう。ああいう子をもっとうまく育てていたら、きっと大谷翔平みたいなスーパースターになっていただろうな、と。それくらい素晴らしい投手でした」