清原、潮崎、長見、玉野、炭谷…それぞれ思い入れのあるドラフト1位指名余話
96年、神戸広陵高からドラフト1位指名した玉野宏昌も思い入れが強い選手のひとりだ。
大型遊撃手の呼び声高く、清原和博がFAで巨人に移籍した直後に指名。背番号「3」を与えられた。ドラフト会議直前に球団上層部が1位指名を決定。鈴木も「まさか1位とは思わなかった」と驚いたが、「のちに中日で投手として活躍した山井大介と同期。当時、182センチは西武の中でも大きい方でした。とにかく打撃は凄かったですよ。高校の練習では、4階建ての校舎の上を越える打球を打った。140メートルは飛ばしましたね。足も速かった。当時の楠城スカウト部長も直々に学校に行って、ぜひ取りましょうとなった」。
父は神戸・長田にある村野工業高校(現・彩星工科)の近くに勤め、直接会って話もした。
3年目の99年に一軍初出場。00年は69試合に出場したが、この年がキャリアハイ。04年オフに中日にトレードで移籍。05年限りで引退した。
「過去に私が担当した松井稼頭央と一緒に自主トレをやったと聞きました。プロでは二塁や三塁をやりましたが、送球が安定せず、右肩の脱臼癖に悩まされたことも。この時代は野手が豊富だったから、なかなかレギュラーに割って入るのは難しかったかもしれません。玉野を取った翌年にも、神戸広陵から2位で左腕の佐藤友紀を指名しました。身長183センチで、サイド気味のフォームで肘の使い方がしなやかだった。同じ高校から2年続けて1位、2位指名するのは珍しいことですよ」
そして、鈴木にとって最後の1位指名となったのが、今も西武でマスクをかぶり続ける炭谷銀仁朗(平安=現・龍谷大平安)である。