【新連載】星野監督は講演会でいきなり「おまえはクソ生意気らしいから野村さんと全然あかんかったんやろ!」
そんな皮肉を言ってみると、場内は「おー!」とさらに沸いた。
「おまえ、おもろいやっちゃな」
星野監督は手をたたきながら笑っていた。
プロ1年目の1997年は98試合。98、99、01年はいずれも120試合以上に出場した。大した成績は残していないものの、当時はプロ6年目を迎え「タイガースの主力格」という自負はあった。ただ、世間の評価は「能力は高いが、波のある選手」というものだった。
■ナインに「優勝するんや」とゲキ
キャンプイン前日の1月31日、星野監督はナインを前にこう宣言をした。
「優勝するんや! やるからには優勝するぞ!」
阪神は僕の入団2年目から4年連続最下位。甲子園に行くのが嫌になるほど弱かった。そのうち3年間は野村監督時代のもの。あの頃は恥ずかしくて、とても「優勝」なんて口にできるチームではなかった。ナインの合言葉は「とりあえず最下位脱出」だから「またまた~」「は? 何言うてんの」と冷ややかに見ていた選手が大半だった。