大柄で足が速くない僕を、なぜPL学園の中村監督はセカンドにしたのか
ショートとは違い、セカンドは併殺プレーの際の体の動きが逆になるため、中村監督には「セカンドは肩の強い選手」という考えがあった。肩の強さを生かし、普通なら間に合わないタイミングでゲッツーが取れた時は、セカンド冥利に尽きる瞬間だった。
星野仙一監督時代の03年はセカンドでリーグ優勝を果たした。1996年のアトランタ五輪も二塁手として遊撃手の井口忠仁とともに銀メダルを獲得。節目でセカンドを守っていたこともあって、遊撃や三塁にはない、強い思い入れがあるポジションなのだ。
そんな僕に内野の守備を仕込んでくれたのは、今月3日に91歳で亡くなった吉田義男さんである。1985年に阪神を球団史上初の日本一に導いた監督で、僕が入団した時は3度目の指揮を執っていた。常に「応援しているぞ」というスタンスで、優しいおじいちゃんのような存在。寿司店や中華店で最近まで1年に1回は杯を交わしていた。ただ、現役時代に「牛若丸」の異名で鳴らした名遊撃手だけに、独特な内野練習法があった。