雑念だらけだった初の甲子園 星稜・松井秀喜の弾丸ライナー弾にPLナインは絶句した
エースは1学年下の松井和夫(稼頭央=西武)。秋の大会は右肘の故障で投げられず、背番号1だったセンバツも30~50球という球数制限があった。痛み止めの注射を打って準々決勝に強行先発したものの、東海大相模打線につかまった。
松井和は肩が強く足も速い。身体能力が高かったが、ケガが多く、高校時代は野球ができた期間は短かった。
強烈だったのは、星稜(石川)の松井秀喜(巨人)である。センバツ開会式直後の第1試合で度肝を抜かれた。185センチ、86キロ。すでにプロのような体格をしていた男は、前年夏に甲子園4強の立役者となった話題のスラッガーだった。
開会式に参加した後「せっかくだから松井を見てから帰ろう」となった。大会屈指の打者にスタンドの視線が注がれる中、僕たちPLナインはどこかでこう思っていた。
「松井がナンボのもんじゃい。どうせ噂だけ。本当は大したことないやろ」
しかし、その考えはすぐに吹き飛んだ。三回の第2打席だ。2死二、三塁と敬遠されてもおかしくない場面で、宮古(岩手)の投手が内角へ直球を投げた。金色のバットで捉えた松井秀の打球は弾丸ライナーでバックスクリーンの右脇に突き刺さった。悠然とダイヤモンドを回る怪物は、五回にも走者を2人置いて、内角高めの直球を右中間スタンドに2打席連続3ランを叩き込んだ。PLナインは全員黙ってしまった。この大会から甲子園のラッキーゾーンが撤去されていたが、松井秀には関係なかった。この衝撃の2連発が、この年の夏に発生した明徳義塾(高知)による「5打席連続敬遠」の明白な序章だったように思う。