「最後の銭湯絵師」町田忍著
<銭湯のペンキ絵、その職人技を記録>
銭湯のペンキ絵を専門に描く現役の絵師は全国でわずか2人。その2人、丸山清人氏と中島盛夫氏の仕事を中心に、著者が30年以上にわたって撮影し続けてきたペンキ絵の世界を紹介する写真集。
銭湯のペンキ絵といえば富士山だが、実はこれは東京を中心とした地域限定の風俗だという。
その発祥は、大正元年に神田猿楽町の「キカイ湯」(廃業)の主人が、子どもたちに喜んでもらおうと画家の川越広四郎に壁に絵を描いてもらったのが始まりで、その際に静岡出身の川越が描いたのが富士山だったのだ。最盛期の昭和43年には都内の銭湯約2600軒の半数にペンキ絵が描かれていたというが、現在ペンキ絵がある銭湯はわずかに230軒ほど。
一口に富士山のペンキ絵といっても、富士山と石川県珠洲市の見附島がコラボレーションした架空の風景(大田区「一乃湯」)が描かれていたりと、銭湯によって構成は変わり、両氏それぞれの個性がにじみ出る。
写実的なペンキ絵が多い中で、両氏が共同制作した杉並区の「なみの湯」は、今風のポップなタッチ。一方、目黒区の「大黒湯」などのように男湯と女湯にまたがった大きな構図もあるが、男女別々の場合は、富士山ともうひとつは別の風景が描かれ、1年ごとに構図が入れ替わるという。というのも、ペンキ絵の寿命は1年で、毎年更新されるのだとか。絵師は銭湯の休業日にわずか2~3時間で下書きもしないで描きかえるというまさに職人技なのだ。