「雨の裾」古井由吉著
高層階の窓から驟雨を眺めながら、初老の男が友人に向かって語りだす。まだ若いころ、梅雨時に母を亡くしたことを。
母親との2人暮らしが長い息子は、病院に足しげく通い、母に付き添う。息子には付き合っている女がいた。頼んだわけでもないのに、女は毎日病院に現れて、病人の世話をするようになった。近づいてくる死と向かい合いながら、母と息子と女の間に密度のある時間が流れていく。
表題作を含む8編を収めた短編小説集。
金策に駆け回った長い一日の終わりに、警報機の鳴る踏切で、ただならぬものを目にした。とっさに男を後ろから羽交い締めにしていた。(「踏切り」)
花の舞う坂道をおぼつかない足取りで上りながら、老人は、背後から列をなしてくる過去の自分を見ていた。(「春の坂道」)
司法試験を目指して引きこもる三十路の男と、男をじっと支える女の密やかな日常。(「夜明けの枕」)
雨の音、虫の鳴く声、スルメをあぶるにおい。西日の赤さ。老境の日常のこまやかな感覚が、深奥の記憶を呼び覚まし、過去と現在を行きつ戻りつ。老いと死の気配が濃く漂う。ゆっくり、じっくり読むほどに味わいは深くなる。(講談社 1700円+税)