「蟲息山房から」車谷長吉著
おおつごもりの晩に、夢を見た。会社で私と背中合わせに座っている女が黒い靴下を私の机の上に脱ぎ捨てて、49階の窓から飛び降りたのだ。私は周囲の者からいわれのない追及をされた。飛び降りた女は「湿り顔の鼻ペちゃ」だった。正月2日に相模湖に行ったら茶店から狐が出てきておでんと酒を出してくれた。鏡の中の白骨の男が歌う「雨降りお月さん」を聴いていると、酌をしてくれた狐が「こんな顔でしょうか」と言うので見ると、「湿り顔の鼻ぺちゃ」が透けて見えた。産毛が総毛立った。(「死の木」)
昨年5月に鬼籍に入った著者の小説、エッセー、俳句、対談、日記などを収載した遺稿集。
(新書館 2000円+税)