共生の地平は共感能力から生まれる
「共生への道と核心現場」白永瑞著(法政大学出版局 4400円+税)
先の参院選終了後、現政権が真っ先に着手したのは、沖縄・高江の米軍ヘリコプター発着場工事の再開であった。本土から機動隊を動員した目に余る強行に「沖縄つぶし!」の声も聞こえてくる。沖縄では今、辺野古や高江の新基地建設に「島ぐるみ」で反対の声が上がっている。
しかし、それを単に安全保障や地域経済の問題として考えるならば不十分である。基地問題は、実際きわめて長らく集団的に差別され、侮辱されてきた沖縄の人々の、何よりも「誇り」や「尊厳」の問題であるからだ。だが、多くの日本人は、その深刻な事態について何も知らない。あるいは、知ってはいても知らないフリをし続けている。
さらに、「この道しかない」という本土の権力者たちはこう言うかもしれない。「経済成長によってしか日本人の幸せは保証できないし、中央集権やナショナリズムによってしか日本社会の調和は実現できない。同様に、米軍に依存するしか日本の安全保障を担保することができず、したがって沖縄の犠牲はやむを得ない……」。しかし本当にそうなのか。差別と犠牲の論理を超えた「共生への道」は不可能なのか。
本土の私たちは、まず本書を手に取るべきだろう。本書は、中国史が専門の韓国人研究者による東アジア論であるが、この先の世界との向き合い方を考えあぐねている日本人こそが学ぶべき視点に満ちている。まずは、近代史の構造的矛盾が集積する「核心現場」に向かうこと。著者はその「現場」を、沖縄や台湾、分断された朝鮮半島などに見定める。東アジアの「共生の地平」は、これら「核心現場の住民たちの苦痛を含めた総体的な生に対する共感能力」から生まれる。
近代史で徹底的に分断された東アジアだからこそ、そこから新たな普遍性が生み出される。著者が東アジアの近代と丸ごと格闘する中で生み出した、新しい主権構想(複合国家論)、そして新しい歴史研究のあり方(社会人文学)などは、その新たな普遍への道標である。