「母さん、ごめん。」松浦晋也氏
親の介護に悩む人々が絶賛し、話題になっている本がある。親子愛を美化したお涙頂戴モノではない。認知症の母を介護したひとりの男が淡々とつづった、想像を絶する日々の記録だ。そのリアリティーは介護中の人だけでなく、近々そうなる不安をもつ人の心もつかんだ。
「約2年半、母を介護して今年1月にホームに入居させました。その顛末を『日経ビジネスオンライン』で書き始めたんです。書いて吐き出してしまえば楽になると思ったんですけど、逆につらかったことや嫌なことを思い出してしまった。さらに、書籍化で原稿を読み返し、また思い出すという責め苦に。やっぱり思い出したくない部分もあるんですよ」
同居する母の認知症に気づいたのは「預金通帳が見つからない」と捜す姿だった。さらに通信販売で届く毎月定期便の品々。家の中には未開封の商品の山。本人は知らないと言う。
「家を片づけているときに書きかけの年賀状が大量に出てきました。途中まで住所を書いて、分からなくて放り出したんでしょう。どうも、母が隠していたようですね」
当たり前のことができなくなっていく母。そのストレスで著者自身も体調を崩し始める。帯状疱疹、不眠、幻覚まで生じて、仕事に支障を来した。
「悔いがあるのは認知症に早く気づけなかったことと、介護する準備ができていなかったことです。何をすればいいのか分からなかった。病院へ行くという選択肢は気づいても、公的な介護制度を利用することに頭が回らなかったんです。弟は通信系で激務の職場で、妹はドイツ在住。もう長男の自分がやるしかない、と」
転倒、失禁、排泄の失敗、異常食欲と症状は進んだ。身近な介護者ほど怒りをぶつけられるやるせなさ。介護に追われ、収入も預金残高も激減。
そして気が付けば著者の口から「死ねばいいのに」という独り言が出ていた。ついには母に手を上げてしまう。
「あのときは、私もかなり追い詰められていましたから。認知症というのは他の病気と異なり、ダメになっていく自分を最後まで抱えていかなくちゃいけない。本人もつらかったと思います。『なんであたし、こんなにダメになっちゃったんだろう』と時々つぶやいていました」
見かねた弟が公的介護利用の手続きをしてくれた。これが思わぬ当たりだったという。
「ケアマネジャー、ヘルパー、グループホームです。皆さんベテランで、何をしたらいいのか心得ていたから本当に助かりました。グループホームは入居するまで年単位の待機を覚悟しましたが、2週間で入居が決まりました。母は徐々に衰えてはいますが、今は快適に過ごしていますよ」
50代独身男が壮絶な介護を体験して、見えてきたものは何だったのか。そして今の心境は……?
「自分が今後、どう人生を締めくくるのかと考えました。頼るものもないし、明日は我が身。自分に最期があることだけは意識していこうと……なんてカッコつけたけど、本音を言うと介護中に浮かんだのは『俺はいつまでバイクに乗れるかな?』でした。母を預けた後、原付バイクを1台買っちゃったし。下世話ですよね。一区切りついた今は虚脱状態。でも働かなきゃいかんし、この数年で10キロも増えた体重を減らさないと。さらに母が残した老犬の介護もあって。もう、どうしてくれよ! って感じです(笑い)」
(日経BP社 1300円+税)
▽まつうら・しんや 1962年、東京都出身。慶応義塾大学理工学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修了。日経BP社記者を経て科学技術ジャーナリストに。宇宙開発、コンピューター・通信などの分野で執筆。著書に「小惑星探査機『はやぶさ2』の挑戦」「はやぶさ2の真実 どうなる日本の宇宙探査」など。