「伝説の女傑 浅草ロック座の母」齋藤智恵子著
戦後間もない昭和22年、浅草ロック座は日本で初のストリップ専門劇場としてオープンした。このロック座を買い取り、業界唯一の女経営者として凄腕を振るった伝説の女傑の一代記。
大正15年、蔵王の麓、宮城県白石の生まれ。両親は魚屋を営んでいた。18歳のとき、親の反対を押し切って上京し、青山の裁縫学校に入学。だが、20歳のとき中退し、一目惚れした大衆演劇の座長のもとに走る。20人の座員の面倒を見ながら、日本中の小さな芝居小屋を回り、踊りや歌を覚えた。
ギリギリの生活の中で1男1女をもうけるも、夫婦仲がこじれ、離婚。時代はストリップの草創期で、浅草の劇場の踊り子に日本舞踊を教えるうち、劇場の社長に請われて自らも舞台に上がるようになった。恥ずかしさをこらえ、稼ぐことを選んだ。このとき35歳。
しかし、一介の踊り子では終わらない。稼ぎに稼ぎ、次々に地方の劇場を買った。佐野、上山田、仙台、博多……。そして46歳のとき、ついに浅草ロック座を手に入れる。平穏な人生のはずがない。何度も警察に捕まり、ときにヤクザと渡り合う。頼まれれば莫大な金を貸し、だまされる。厳しいが面倒見がよく、踊り子たちは「ママ」「お姐さん」と慕った。
ストリップを猥褻で下品な見せ物にはしない。美しく踊って魅せる。好いてくれる男がいても、「おまんちょ」はしない。踊り子は絶対に守る。そんな人柄に引かれる芸能人も多かった。とりわけ、勝新太郎やビートたけしとは、肉親以上の深い交流があり、いくつものエピソードと写真が紹介されている。
昨年4月、90歳で逝去するまで、ストリップ界のゴッドマザーであり続けた。 (竹書房 2200円+税)