「キャベツ炒めに捧ぐ」井上荒野著
近年はコンビニや弁当屋に押されて、総菜専門店を見かけることが少なくなった。それでも魅力的な総菜屋も多く、本書に登場する店も、毎日、1升炊きの大きな釜が3つ稼働しているというからけっこうな繁盛ぶりだ。 その秘訣は、「たたきキュウリと烏賊と松の実のピリカラ和え」「昆布と干し椎茸のうま煮」「新ジャガと粗挽きソーセージのにんにく炒め」といった文字面だけでも涎が出そうなラインアップにあった。
【あらすじ】私鉄沿線の小さな町にある「ここ家」は開店11周年を迎える総菜専門店。店を切り盛りするのは、オーナーの江子と開店当時から勤めている麻津子、そして、最近働き始めた郁子。いずれも還暦すぎの熟女3人組。
江子は天真爛漫な性格で店を引っ張っているが、一緒に店を始めた女性が夫と恋仲になり離婚、という苦い過去がある。始末に負えないのは、いまだに夫に未練があって何かと連絡を取ってしまうこと。
無愛想で皮肉屋の麻津子は、50年来の幼馴染みの男に思いを寄せながらもうまくいかず、やきもきしている。郁子は、2歳で死んだ息子の死には夫に責任があったのではとの思いを抱えたまま夫を亡くし、心のやり場を失っていた。そうした3人の複雑な心情が、章ごとにそれぞれの視点で語られていく。
【読みどころ】性格も来歴もまるで異なる彼女らに共通しているのは、おいしいものを作ることの妥協のなさ。サツマイモとネギを炒め煮にするのにブリのあらと烏賊のゲソ、どちらが合うかで真剣に言い争ったり、手間はかかってもアサリのフライは揚げたてを出すことで一致する。この食へのひたむきさは人間に対するひたむきさでもある。
そんな熟女3人が織りなす人間模様を巧みに描いた佳作。 <石>
(角川春樹事務所 540円+税)