「森瑤子の帽子」島﨑今日子著
1970年代の終わりからバブル時代にかけて、作家・森瑤子の存在は特別の光を放っていた。つばの広い帽子、大きなイヤリング、真っ赤なルージュ。ゴージャスでグラマラスで、それまでの女流作家とはまったく違っていた。
彼女には3つの名前と3つの顔がある。本名の伊藤雅代。イギリス人男性と結婚し、3人の娘を授かったミセス・ブラッキン。そして、初めて書いた小説「情事」ですばる文学賞を受賞、人気作家になった森瑤子。森瑤子より14歳年下のノンフィクション作家が、その作品を読み返し、夫や娘をはじめとする多くの関係者の証言を得て、陰影の濃い森瑤子像を刻んだ。
若き日の伊藤雅代は東京芸大でバイオリンを学ぶが、途中で挫折、画家や詩人たちと刺激的な青春時代を送った。結婚まで考えたひとつの恋が終わった後、世界放浪の旅の途中で日本に立ち寄ったハンサムなイギリス人と出会い、結婚。娘たちを育て、夫の仕事を手伝い、週末は海辺の別荘で過ごす。はた目には幸福そのものの生活に見えた。
だが、自由で自立した女の活躍が脚光を浴びる時代にあって、主婦であることに満たされず、何者かでありたいとあがく雅代は、寂寥と鬱屈を抱えていた。そして38歳の時、たまりにたまった胸の中のものを吐き出すように、小説「情事」を書いた。以後、シャイな主婦はゴージャスな作家に変貌していく。
毛皮、ロレックス、高級車モーガン、カナダの小島、与論島の別荘、著名人たちとの社交。欲しいものを何でも手に入れ、やりたいことを全部やってのけた。吐き出すものがなくなっても、森瑤子であり続けるために、身を削って小説やエッセーを量産した。実母との葛藤、夫との確執、出版社からの前借り、痛む胃。重たいものを背負って走り続け、1993年、52歳で燃え尽きた。愛した人たちの心に掛け替えのない何かを残して。
(幻冬舎 1700円+税)