「拗ね者たらん」後藤正治著
昭和46年、読売新聞社会部のエース記者だった本田靖春は、社を辞めてフリーになった。このとき37歳。社会部の自由闊達な気風がいつしかうせ、社主・正力松太郎の権勢にひれ伏す社内の体質に反発した本田は、組織人であることをやめ、人間として自由であることを選んだのだ。
その後の本田は、ジャーナリスト精神と作家的文章力を武器に、優れたノンフィクション作品の山を築いていく。村越吉展ちゃん事件を掘り下げた「誘拐」、金嬉老事件を題材にした「私戦」、先輩記者が陥穽に落ちた事件を扱った「不当逮捕」、闇市時代のアウトローを描いた「疵」……。作品が生まれる過程には、常に伴走する編集者たちがいた。
本田より1回り年下のノンフィクション作家があらためてその作品群を読み返し、担当編集者をはじめとする多くの関係者の証言を得て、この評伝を書いた。作品をほぼ時代順に追う構成で、本田作品へのまたとない道案内にもなっている。
本田靖春は昭和8年、京城(現ソウル)で生まれ、植民者2世として育った。中学1年のとき引き揚げ、遠縁を頼って島原半島の寒村でひもじい暮らしを送る。少年時代のこうした体験が、少数派や弱者に寄り添う姿勢を育んだ、と著者は見る。
フリーになった本田は、一貫して「戦後」というテーマを追い続けた。貧しかったが自由と可能性だけはたっぷりあった戦後。しかし、豊かになるにつれて、せっかく得た精神の自由を売り渡していく日本社会のありように、厳しい視線を向けた。
伴走者たちが語る本田は、実にチャーミングな男だ。厳しいが優しく、含羞を帯びている。麻雀、競馬、酒を好み、美声でフランク永井を歌った。しかし、晩年は満身創痍。糖尿病、右目の失明、人工透析、肝臓がん、大腸がん、壊疽による両足切断。それでも病床で執筆を続け、71歳で生涯を閉じた。
「拗ね者たらん」とした孤高のジャーナリストが残した力ある作品群は、長く読み継がれるに違いない。
(講談社 2400円+税)