一人一人の小さなエピソードがやがて夢幻譚へ
チンチン電車が好きだ。子ども時代は東京と福岡。その後も神奈川、広島、鹿児島、札幌、函館、熊本、高知……と現存する国内はほぼ乗ったし、外国は東アジアの香・台・中から、欧州なら英・蘭・伊・仏・西・独・墺まで遠征。
そんなわけで、題名を見てぐっとその気になったのが今週末封切りの「嵐電」である。見る前はてっきりドキュメンタリーだと思っていたが、実は京福電鉄嵐山線の沿線で働いたり暮らしたりする複数の人物を巡る物語。一人一人の小さなエピソードが一本の線路でつながれ、やがてこの世のものと思えぬ夢幻譚に広がっていく。
最初ドキュメンタリーだと思った一因は、鈴木卓爾監督が京都の美術大に赴任し、嵐山線の日常や風物に接した“外来者”だったから。脚本を書き、学生たちが製作に関わり、実際の沿線住人たちがボランティアに加わった。近頃はそんな素人参加型(?)の映画が増えているが、その反映が画面に漂う空気につながったのだろう。
もっとも昨今の京都・嵐山といえば名にしおう観光地。嵐電も鎌倉の江ノ電と並んで国内外からの観光客で大混雑状態だが、そんな現状まで映せというのはやぼというものだろうか。
鉄道を巡る幻想譚といえば宮沢賢治。そのビジュアル化では「ますむらひろし版」と銘打たれた「銀河鉄道の夜―最終形・初期形〈ブルカニロ博士篇〉」(偕成社 2000円+税)が知られる。80年代に「アタゴオル物語」で一世を風靡した幻想漫画家が独自に解釈した物語で、「嵐電」にも細い糸でつながっているように感じるのは気のせいだろうか。
個人的には「アタゴオル物語」の最初期(画風が違う)を薦めたいのだが、あいにく絶版で古書も入手が難しいのが惜しい。何でも電子化されてしまう昨今である。
<生井英考>