「看板建築 昭和の商店と暮らし」萩野正和監修
看板建築とは、昭和初期、関東大震災からの復興時に東京で数多く建てられた商店建築の一様式。建物自体は和風建築だが、防火のため外壁の正面部分が銅板やモルタル、タイルなどで一枚看板のように装飾されていることから、命名された。
本書は、今も現役で活躍する看板建築を訪ね、その建物の歴史をたどりながら、そこで暮らす人々の話に耳を傾けたビジュアルブック。
1軒目は、東京大学本郷キャンパス近くの「万定フルーツパーラー」(文京区)。昭和3(1928)年竣工の同店の外壁はモルタルとタイル。建物の妻面を覆い、屋根を隠すように立ち上がったパラペットと呼ばれる壁部分は、縦の浮き目地が等間隔に並び、さらに2本の丸柱や入り口の上のアーチ、そして出窓の下にまで手を抜くことなく施された意匠が、モルタルの質感と相まって、まるで石造寺院のような趣を作り出している。
果物屋だった先代が当時はやっていたフルーツパーラーを併設したのが同店の始まりだが、2代目が亡くなった後は、妻の外川喜美恵さんが切り盛りしている。
東大関係者に愛され、丹下健三や安藤忠雄ら建築界の大御所も常連で、改築の話も何度か持ち上がったが、「きれいなお店はお金をかければできるけど、歴史は積み重ねだから。それがうちの財産」と店内にも昭和がそのまま残っている。
続いて訪ねるのは秋葉原駅から徒歩5分、柳原通りに面する「岡昌裏地ボタン店」(千代田区)。紳士服の専門素材の材料店でスーツの裏地やボタン、絹糸などを扱う同店の外壁は銅板で、緑青のグラデーションが味わい深い。最上部は5段もの蛇腹、そして戸袋には上部と下部で矢根羽と亀甲が切り替わる凝った模様が用いられている。
同店は明治30年創業、関東大震災で大きな被害が出た一帯は、東北からの出稼ぎの大工たちによって似たような建物が一斉に建てられ、当時は看板建築通りだったという。このように看板建築は、建築家が関わらず、大工や施主によって設計され、その自由な発想とデザイン、技術、創意工夫が随所に込められている。
他にも、刷毛をイメージして垂直に伸びる6本の柱が印象的な刷毛・ブラシの専門店「江戸屋」(中央区)や、セメント産業と絹織物で繁栄した埼玉県の秩父で毎夜、2階の宴会場では芸者を呼んで宴会が開かれていたという「パリー食堂」(表紙)など10軒を収録。
看板建築は、再開発や老朽化、後継者不足などさまざまな理由で取り壊しが進み、その数を急速に減らしている。そんな閉店してしまったり、解体された看板建築の往時を伝える写真なども交え、130軒以上の物件を紹介する。
中には、かつて肉屋だった看板建築をリノベーションして新刊本屋にした「Title」(杉並区)のような明るい話題もある。
昭和から平成、そして令和へと激動の時代を生き抜いた看板建築の魅力を伝える探訪記。
(トゥーヴァージンズ 1900円+税)