大石芳野(写真家)
7月×日 雨にけぶる樹木が池を囲むように鬱蒼としている光景のなか、ツバメが飛び交う。窓越しのその美しくも素早い飛び方に目を奪われながら視線を追う。書棚から取り出した1冊の、かなり黄ばんで書き込みなどをした霜山徳爾翻訳の「夜と霧」(みすず書房 1800円+税)を再読しながら、深いため息をつく日々だっただけに、ツバメの姿に元気をもらったような気がした。
霜山氏は「彼(ヴィクトル・E・フランクル)がこの地上の地獄ですら失わなかった良心」に感動したと述べているように、著者は「精神的な自由」を大事にしながら自分を支え続けてきた。アウシュヴィッツを生還した男性に私も何度か話を聴いたことがある。初めて会った1986年、彼は分厚い眼鏡越しに私を直視しながら「神経にたえず希望という小川が流れているかぎり、人間は耐えられる」と話した。今も生々しく残っている。
そして7月×日の昨日、アルフォンス・デーケン原案「人生の選択 デーケン少年のナチへの抵抗」(池田宗弘/画 堀妙子/文 藤原書店 1800円+税)という絵本を手にした。死生学を上智大学で教えていたアルフォンス・デーケン(1932年ドイツ生まれ)の物語だ。師のユーモアはよく知られているが、この書の根底にもそうしたウィットが流れている。堀妙子の文は大人でも子どもでも共有できる文体なうえ、内容は深い。
たとえば、「ドイツの人びとは、戦争が起こるとは思っていなかった。けれど、戦争は、気づいたら始まっていたのだ」とか、ナチのエリート養成学校生に選ばれたが断ったことについて、「小学生でも、人生を選択しなければならない時がある。ナチを選んだら、それは精神的な死だと思った」とある。
12歳のとき、図書館で「12歳の殉教者ルドビコ茨木」の本に出会い、師は来日を決めた。ルドビコは16世紀にキリシタンというだけで、長崎で処刑された少年だった。「350年もの時を経て、ドイツの一少年の魂を揺さぶった。」
池田宗弘のオリジナルの絵は説明でもなく離れるのでもない絶妙なバランスで描かれている。