平川克美(作家)
2月×日 「うしろめたさの人類学」(ミシマ社)で毎日出版文化賞を受賞した松村圭一郎の最新作「これからの大学」(春秋社 1900円+税)を読む。
「学び」と「知」がテーマなので舞台は大学だが、松村が想定し、呼びかけているのは大学の外にいる一般の人々である。
松村の方法論は、現在、あたりまえのように流通している問いに対する「答え」は、幾つもの「答え」に至る道筋のうちの1つに過ぎないという気づきから始まる。
文化人類学的な方法だが、現実の問題に対する態度としても、有効だろう。なぜなら、私たちはすでに有効性を失っている「常識」に、振り回されることで困惑することが多いからである。例えば、こどもは厳しく躾けなければならないという常識が、精神不安のこどもを作り出すことがある。暴力は教師や親の義務であるかのように喧伝されたこともあった。
「常識」は時代の文脈が作り出した信仰という側面もある。迷信の類の「常識」の中から、より普遍的な「常識」を掬い上げて、風通しのよい思考へ至る道筋を見出すにはどうしたら良いのか。
時間通りに会社に辿り着くことが目的であれば、満員電車の中で過ごす忍耐の時間は意味のない無駄に過ぎない。だから、時間を潰すためにだけ、スマホに目をやる。こうやって、私たちは自分たちにとって意味のない時間を自分の周囲に作り出している。
「成長」とは、学びを通して予想もしていなかった自分になっていることだと著者は言う。「迷路」と「迷宮」に関する、イギリスの人類学者の面白い考え方が紹介されている。「迷路」は、目的地に最短で辿り着く障害だが、「迷宮」はそれ自体が目的であり、未知と対話をするための経験を与えてくれるというのだ。
私たちの人生が、「迷路」ではなく、「迷宮」のようなものであると考えてみれば、もっと豊かな経験に触れることができるだろう。
満員の通勤電車の中でさえ、予期せぬ発見があるかもしれない。