樋口裕一(多摩大学名誉教授・作家)
2月×日 自宅で執筆。午後は、昨日に引き続いて、アンドリス・ネルソンス指揮、ウィーンフィルのベートーヴェン交響曲全集のCDを取り出して聴いた。第九だけ購入後すぐに聴いて、その雄弁な演奏に驚嘆したが、改めて全曲を聴くと、ぐいぐいと推進していく力に圧倒される。凄い演奏だ。
合間合間に、かつての同僚である多摩大学バートル教授の労作「内モンゴル 近現代史研究」(多摩大学出版会 2800円+税)に目を通す。400ページを超す専門書なので恐れをなして手に取らずにいたのだが、読み始めてみると、モンゴル独立運動、その頓挫から、現在の一帯一路政策までの状況が内モンゴルという視座によって描かれ、門外漢にもわかりやすく、実に面白い。
2月×日 北八王子のMJ日本語教育学院にて職員会議を開く。外国人に日本語を教える学校だが、現在、認可申請中でまだ生徒は在籍していない。10月開校をめざして、校長である私を中心に教師の研修に力を入れている。通勤中に、ピエール・ルメートル著「わが母なるロージー」(橘明美訳 文藝春秋 700円+税)を読んだ。「その女アレックス」と同じカミーユ警部が登場するミステリーだが、これまでの作品ほど大部でもなく残酷でもない。やめられなくなって、帰宅後も読みふけった。結末はかなり早い段階で予想がつくが、それでも胸をうたれ、感動する。母と子の絡み合った愛憎の物語だ。見事な筆致に感嘆した。
2月×日 自宅で様々な仕事を片付ける。合間に、買ったばかりの「荷風追想」(多田蔵人編 岩波書店 1000円+税)に目を通した。59名のかかわりのあった人物が永井荷風を語っている。放蕩知識人のわがままで自由で俗っぽくて、人間嫌いでしかも一本筋が通っている荷風の融通無碍な姿が立体的に浮かび上がる。辛辣に荷風を皮肉る室生犀星や石川淳の文章も収録されている。荷風自身の「断腸亭日乗」と同じような面白さがある。荷風のような何ものにもとらわれない自由奔放な老後を送るのもいいなと思う。