達人が伝授!読書を楽しむための本特集
「霧中の読書」荒川洋治著
読書の達人の指南を受けると、今まで自分が、ウイットとか辛辣さとか、あるいは深遠で芳醇な味わいとかいうものの上澄みしか味わっていなかったことを思い知らされる。そして、手の中の本がずしりと重くなる。そんな体験をさせてくれる本を紹介しよう。
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イタリアの作家、イータロ・カルヴィーノの「まっぷたつの子爵」は、18世紀初めのトルコとの戦争で砲弾を受けて体がまっぷたつになったメダルド子爵が主人公である。子爵は放火をしたり、やたらと人を処刑したりする残忍な人物だ。ところが、死んだと思われていたもう半分の子爵が生還する。こちらは弱い人を助けるいい人だが、次第に厄介な存在になる。善人の子爵は神経質で礼儀に厳しいため、誰も自分の好きなことができなくなってしまう。人びとにとっては善人のほうが始末が悪かった。
この「非人間的な美徳」の出動は、近年、どこかの国では、安全のため健康のためなどという誰にも逆らいにくい題目をふりかざして、過剰な規制を図る動きがある。少々不都合なことが起きても、人間の自然な状態を受け入れるということができなくなっているのだ。「書物について書くことは、霧の中にいるようなものだ」と語る著者の46編のエッセー。
(みすず書房 2700円+税)
「知の旅は終わらない」立花隆著
著者が原稿を書く際に指針にしているのが、中世の哲学者、論理学者ウィリアム・オッカムが発見した大原則、「オッカムの剃刀」だ。これは「不要で非合理的な概念はすべて剃刀で切り落としてしまえ」という切り捨て法である。オッカムは、ウンベルト・エーコ原作の映画「薔薇の名前」でショーン・コネリーが演じた修道僧のモデルとなった人物で、あの修道僧が殺人事件の真犯人を発見する推論過程こそが不要概念切り捨て法だったのだ。
著者が本書で自伝的に語る過程で、「自分の構成要素は何か」を考える。そのとき、残すものと切り捨てるものを分けるのに、「オッカムの剃刀」の方法が役に立つという。そして切り捨てずに残したものが、満州から引き揚げてきて毎日寝る所が違うというデラシネ経験や、漂流者的生き方であり、キリスト教的な西欧思想である。
3万冊の本を読み、100冊の本を書いた立花隆がその思索と行動について語る。
(文藝春秋 950円+税)
「いつだって読むのは目の前の一冊なのだ」池澤夏樹著
王力雄の「セレモニー」は中国を舞台にした近未来SFである。その国では、政府当局は靴に組み込むSIDというナノレベルの仕掛けですべての国民の移動を追跡することができる。
例えば、ベッドのある部屋にいる男女の靴が動かなければ、2人は靴を脱いで性行為をしたと考えられる。他に、標的となる人物の首筋に麻痺剤を注入する電子蜂なども登場する。それらによるパンデミックの可能性を利用して権力争いが起き、暗殺や抗争が繰り返される。
官僚組織を動かす政治力学の描き方がリアルで、説得力がある。場面ごとに舞台も主役も変わるという手法で、「三国志」などの武侠小説を思わせる作品だ。かつてソ連が崩壊したときは、その5年前にSFという形で描くしかなかったのだが、今では世界がSF化していると、著者は喝破する。
「週刊文春」に連載された「私の読書日記」で紹介した444冊の書評の単行本化。
(作品社 3200円+税)
「若い人のための10冊の本」小林康夫著
著者は若い人の「通過儀礼」として、「人間であること」を学び続けることが必要だと考えている。その出発点は「孤独」だが、本質的な孤独を引き受けようとしている人に、第1の「案内標識」として「死んではいけない」を挙げる。そのメッセージを贈るために選んだのがヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」だ。ユダヤ人であるフランクルは、ナチス・ドイツが設けた強制収容所に収容されていた。人間が人間として扱われず、いつガス室に入れられるかわからない状況の中で、「人間であること」の意味をひとつの「希望」として貫き、生き延びた。この本を選んだのは、原題「……それでも生に〈はい〉と言う」のように、どんな過酷な状況にあっても、自分の生に〈はい〉と言ってほしいからだ。
他に、「汚れつちまつた悲しみに……」を所収した中原中也の「詩集」など、著者が、人間を学んでほしいという願いに基づいて選んだ10冊の本。
(筑摩書房 920円+税)
「大学教授のように小説を読む方法〈増補新版〉」トーマス・C・フォスター著 矢倉尚子訳
サミュエル・ベケットの代表作「ゴドーを待ちながら」では、2人の浮浪者が道端でゴドーが来るのを待っている。だが、ゴドーは現れないし、そこから抜け出すための道は用意されているのに、2人も歩きだそうとはしない。これは文学理論家のノースロップ・フライが「アイロニック・モード」と呼んだ位相に位置する戯曲である。
普通の戯曲では登場人物は観客と同等かそれ以上の人物なのに、2人は自立性、自己決定力などの点で観客より下にいるというアイロニックな作品なのだ。
他に、ヒチコックの「汚名」で、クロード・レインズがイングリッド・バーグマンと結婚しながらおめおめとツインベッドを使う理由を探る「すべてセックス」など、さまざまな隠喩や象徴から、一歩踏み込んで小説を読み解くための27のヒントを解説。
(白水社 3500円+税)