いまもつづく差別と抑圧の現実に思わず襟を正す
「ハリエット」
新型コロナウイルス禍のさなかでも見逃せない春の新作。それが来週末封切りの「ハリエット」だ。
19世紀半ばの米南部で農園を脱走し、奇跡的に北部の自由州に逃れた女奴隷ミンティことハリエット・タブマン。最初は奴隷主一家の暴力にひれ伏した彼女が、不屈の闘志を育て、仲間の逃亡を次々と成功させて旧約聖書の「モーゼ」の異名をとるに至る。
アメリカの史実として近年名高い話で、新20ドル札は彼女の肖像になる予定だ。
つまり歴史の偉人伝だが、単なる英雄伝説でないのは世の不正義と対決するハリエットの毅然とした姿ゆえだろう。
主演のシンシア・エリヴォが素晴らしい。脱走支援の秘密名「地下鉄道」は北部の自由黒人と白人の篤志家のつくった組織だが、安全確保のために危ない橋を避ける彼らにハリエットがいう。
「自由を満喫するあなたたちに奴隷の本当の痛みと苦しみはわからない!」
この瞬間、いまもつづく差別と抑圧の現実に、思わず襟を正す。エリヴォはアカデミー主演女優賞を逃したが、見比べれば「ジュディ」よりこっちなのは明らかだ。
史実については上杉忍「ハリエット・タブマン―『モーゼ』と呼ばれた黒人女性」(新曜社)があるが、ここでは「もうひとりのハリエット」を紹介したい。
「ハリエット・ジェイコブズ自伝」(明石書店 5500円+税)は、同じころ、さらに南のノースカロライナ州で奴隷だった少女が主人の性的暴行から逃れ、7年間も屋根裏で逃亡生活をつづけて自由州に逃れた体験をみずからつづった手記。しかし白人の学者たちはこれを「無学な奴隷」が書いたとは信じず、長年論争の的となったという。
なおトランプ政権は、タブマンの肖像画のついた新20ドル札の発行を延期すると先日発表した。 <生井英考>