「人間の土地へ」小松由佳著
ヒマラヤの8000メートル峰とシリアの砂漠。過酷で美しい大自然に身を投じ、五感を研ぎ澄ませて生きることの意味を見いだそうとする体験的ノンフィクション作品。
高校時代から登山に魅せられ、大学山岳部で鍛錬を積んだ著者は、2006年、世界第2位の高峰K2(8611メートル)の登頂に成功した。日本女性初の快挙だった。8200メートルの凍った斜面でのビバークも体験。ヒマラヤは、生きてそこにあることの無条件の価値に気づかせてくれた。
フォトグラファーを目指していた著者は、ヒマラヤの麓に生きる人々に接し、風土に根ざした人間の暮らしに関心を深めていく。08年、カメラを手にシリアを訪れ、砂漠でラクダを放牧する青年、ラドワンに出会った。彼は砂漠の遊牧民ベドウィンの末裔で、古都パルミラを拠点にする大家族の末息子。家族を愛し、ラクダを愛し、砂漠の美しさを熱く語った。
毎年シリアを訪れるようになった著者とラドワンはいつしか引かれ合い、結婚を意識する。だが、2人の前に立ちはだかる壁は異なる宗教や文化だけではなかった。ラドワンが兵役に服した同時期に民主化運動が起こり、シリアは内戦に突入する。ラドワンは政府軍の兵士として市民に銃を向けることはできないと軍を脱走、ヨルダンの難民キャンプにたどり着く。しかし、安全だが無為な生活に生きる意味を見いだせず、祖国のために戦いたいとシリアに舞い戻った。その後、ISの恐怖による支配が強まり、パルミラは破壊され、人々は風土とともにあった平穏な生活を失った。
時代の波に翻弄されて一度は別れを決意した2人だったが、いくつもの障壁を乗り越え、13年にヨルダンで結婚。家族の一員として内戦下のシリアを体験した日本人女性は、何を見たのか。自分とラドワン、家族や親戚、友人たちの体験は、貴重な歴史の証言といえるだろう。
地球規模の視野と行動力を持ち、今を全力で生きる女性の存在は、私たちを勇気づける。
(集英社インターナショナル 2000円+税)