「沢村忠に真空を飛ばせた男」細田昌志著
キックボクシングを創設した男。真空飛び膝蹴りでファンを沸かせた沢村忠と、今や歌謡界の大御所・五木ひろしを世に送り出した男。
昭和の辣腕プロモーター・野口修の一代記を書こうと当人にインタビューを願い出た著者は、この男をめぐる途方もない時空旅行へと旅立つことになった。野口修が生きた時代と現代を行きつ戻りつ。彼の言葉の真偽を関係者の証言と当時の記録で裏づけ、ノンフィクション作品に仕上げるまでに10年を費やした。野口は2016年、82歳で永眠。2段組み560ページにのぼるこの大作を読むことはかなわなかった。
野口修の人生は幕開けから波乱に富んでいる。父・進は右翼で格闘家。修の誕生時は獄中にいた。進は同房の児玉誉士夫と知り合い、以後、児玉は修の人生にも時折関わりを持つことになる。
戦後、進は目黒に野口拳闘クラブを設立、日本のボクシング界を牽引する。やがて父に家業を任された修はプロモーターとして歩み始め、弟の恭はボクサーに。父の代からアジア格闘界と接点を持っていた修は、タイ式ボクシングに目をつけ、1966年4月、大阪府立体育館で日本初のキックボクシングの興行を行った。
大学時代に剛柔流空手を体得した無名の青年を沢村忠のリングネームでデビューさせ、タイのボクサーにKO勝ち。沢村はここからキックボクサーとして連勝街道を突き進むことになる。試合はテレビでレギュラー放映され、高視聴率を叩き出した。
キックボクシングで得た利潤を元手に、修は新たな事業に乗りだす。作詞家・山口洋子に紹介された歌手、五木ひろしを野口プロの所属歌手としてデビューさせ、レコード大賞の獲得に至った。
しかし、絶頂期は長くは続かなかった。沢村が引退し、五木が独立。強引に突っ走ってきた修の人生に影がさす。野口プロの再浮上を競走馬にかけるも失敗。ついには破産。毀誉褒貶の多い人生だった。修が生きた昭和の格闘技界、音楽業界の表裏がつぶさに描かれ、読み応えがある。
(新潮社 2900円+税)