「負けない交渉術」大塚弘昌著/朝日新聞出版
訴訟社会の米国で、弁護士として修羅場の交渉の経験を積んだ大橋弘昌氏(ニューヨーク州弁護士)による実践的な指南書だ。評者が外交官時代に出会った交渉の達人の技法とも通じるところがある。
大橋氏は、交渉の現場に出てくる人は少ない方がいいと考える。
<交渉には決定権を持つデシジョン・メーカーの意向をしっかりと理解している「交渉責任者」と、「交渉に必要な事実関係やデータについて把握している人」の2人がいれば十分です。もしくはこれらの2人に加えて、弁護士を同席させてもよいと思います。しかしデシジョン・メーカー本人は交渉に出るべきではありません>
評者も同じ意見だ。交渉中、困ったことが生じたときは電話でデシジョン・メーカーの指示を仰げばいい。デシジョン・メーカーは交渉相手の目から見えない神秘的な存在にしておいた方がこちらに有利な状況をつくることができる。
大橋氏は、交渉に当たって絶対に嘘をついてはいけないと強調する。
<交渉において、嘘は、いかなる場合もついてはいけません。/たとえばX店に行って、「Y店では、同じ製品が1万円安く売っていた」などとは、それが真実でない限り、言うべきではありません。/それはどうしてでしょうか。もしかしたら、あなたが話をしているX店の店員は、Y店の売値を正確に把握しているかもしれないのです。/あなたが言ったことが真実でないとわかれば、それ以降、あなたが何を言おうと説得力がなくなってしまいます。交渉は言葉のやりとり。その言葉が真実でなければ、そこから先は、交渉が成り立たなくなります>
外交の世界でも嘘つきは絶対に信頼されない。もっとも北朝鮮のように「約束はしたが、それを守るとは約束していない」という交渉術をとる国もあるので厄介だ。
大橋氏は<交渉中に嘘を言ってはいけないのですが、かといって本当のことを何でも話すべきかといえば、決してそうではありません>という。
完全情報を与えずに相手を誘導するのは嘘ではなく情報操作だ。巧みな情報操作で交渉を有利にするという手法は外交の世界で日常的に取られる。 ★★★(選者・佐藤優)
(2021年2月18日脱稿)
負けない交渉術