「地球に月が2つあったころ」エリック・アスフォーグ著 熊谷玲美訳
今年の初めに高山宏訳の「ガリヴァー旅行記」が刊行され、昨年6月から朝日新聞で柴田元幸訳の「ガリバー旅行記」の連載が始まった。300年前に英国で書かれた風刺小説がくしくも英米文学の泰斗2人が共に訳すというのは異例だが、その「ガリヴァー旅行記」の中で、実際にその存在が確認される150年も前に火星の2つの衛星が言及されている。しかもその軌道は作者のスウィフトが描いたものとほぼ同じで、大きな謎とされていた。
2011年、かつて地球には火星と同じく2つの月があったとの説が打ち出され話題を呼んだ。その提唱者のひとりが本書の著者である。
これまでの研究では、原始地球に火星ほどのサイズのテイアと呼ばれる原始惑星が衝突し、地球とテイアの破片が混ざり合って月が形成されたとされる。その際、月にも地球にも取り込まれなかった物質は宇宙空間に放出されたと考えられてきたが、著者らはそのうち一部が天体を形成して生き残った可能性があるとした。
つまり、原始地球上の夜空には2つの月があったのである。この時期は数千万年と短く、小さな月は大きな月の裏側に衝突してその姿を消してしまった。こう考えれば、月の表側と裏側で地殻の厚さや鉱物組成、元素組成が大きく異なることも説明できる。
本書は著者の専門である惑星科学に関し、さまざまなエピソードを満載しながら縦横無尽に語ったもの。惑星や小天体がどのようにして生まれ、現在のような太陽系になったのかなどについて、最新の知見とギリシャ以来の宇宙観を取り交ぜながら語っていく。
たとえば、テイアが地球に衝突する角度が少し違って速度がもっと速ければ、2つの惑星が合体することなく当て逃げして去っていった可能性もあったという。実はこうした衝突が原始太陽系では頻繁に起こっていて、ほんの少し条件が違えば、現在の太陽系、地球、ひいては人類は存在しなかった。コロナ禍で疲れた心を癒やすのにうってつけの壮大な宇宙のドラマがここにはある。 <狸>
(柏書房 3080円)