「ぼくがアメリカ人をやめたワケ」ロジャー・パルバース著 大沢章子訳
人生のほとんどを生まれた国で暮らし、外国語を話すこともなく、見ず知らずの他人ばかりの世界で運試しをしようともしない人生とは、どんなものだろう? こう語る著者は文字通り、世界中を股にかけて活躍する作家、翻訳家、演出家だ。
1967年2月、著者は留学中のポーランドでスパイ嫌疑をかけられ急きょ母国アメリカに帰らざるを得なくなった。時はベトナム戦争のさなか、「自分たちの自由を守るという名目で、敵とみなした国で暮らす人々の生活を破壊するような国の国民でいたくなかった」。著者が選んだのは、国を離れること。同年9月、日本に向かい、76年にはオーストラリア国籍を取得し、アメリカ人をやめる。
こうした著者の生き方に多くの日本人は戸惑うことだろう。海外に旅するのが好きで外国語にも堪能という人は少なからずいても、日本人をやめようと考える人は極めて少ないのではないか。しかし考えてみれば、アメリカという国自体が世界各地からの移民で成り立っている国であり、1930年代にはナチス・ドイツの迫害を逃れて多くのユダヤ人がアメリカへ亡命した。亡命の「亡」は捨てる、「命」は戸籍を意味していて、文字通り国籍を捨てることだ。著者の両親もまた東欧から移民してきたユダヤ人である。
本書には、著者のルーツである東欧の祖先の話から始まり、オーストラリア国籍を取得する経緯、井上ひさし、大島渚、坂本龍一らとの交流、敬愛する石川啄木、宮沢賢治の話などさまざまなエピソードが、固定したナショナリズムやアイデンティティーから自由な発想で語られていく。
本書には日本文化に対する深い愛情がそこここに出てくるが、同時に、東日本大震災以降、原発継続を公式に掲げ続ける日本政府の無責任さ、遠く離れた場所で起きたことは対岸の火事として見過ごしてしまう体質などに強い警鐘が鳴らされてもいる。
「現代の世界には、一つの岸しかなく、すべての人がその岸で生きているのです」というコスモポリタンならではの言葉が胸に響く。 <狸>
(集英社インターナショナル 1980円)