「石を放つとき」ローレンス・ブロック著 田口俊樹訳
「昔より歩く速度が遅くなった。体への負担も多くなった。昔は体力などというものは無尽蔵にあるように思っていたものだが。それが途中で休む場所を捜すようになった」
そう嘆くのは私立探偵マット・スカダー。マットが最初に登場したのは1976年。ある事件で彼が撃った流れ弾が幼い女の子を死なせてしまう。その自責の念からアルコール依存症に陥ったマットが、事件を追いながら酒への誘惑に必死に抵抗するヒリヒリするような緊張感が多くの読者を魅了した。
以後、マットを主人公にして作品が発表されていくが、あるときから作者はマットを自分と同年齢にして作品ごとに年を取らせるという、私立探偵小説では異例な設定で描くようになる。
最新作の本書「石を放つとき」では、なんとマットは御年80歳。途中で休みたいと思うのもむべなるかな。かつて売春婦であったスカダーの妻エレインは、元売春婦の集まり〈タルト〉でエレンという女性と知り合う。エレンは以前客だった男がしつこくつきまとってきて身の危険を感じていた。しかし、男の名前も住んでいるところも職業も何も知らない。そこでマットに男の正体を探って、うまく縁を切れるようにしてほしいと頼んできた。
以前なら男の写真を手に入れて、ストリートキッドのTJに頼んで捜させるのだが、そのTJも今や40歳。「いったいこの年月に何があったの? 年月はどこにいってしまったの?」というエレインに対して、マットはどこに行ったにしろ、もう戻ってはこない。「私もどうしてこんなにも歳を取ったのか」と嘆ずる。
それでもマットは似顔絵描きの達人レイ・ガリンデスの手を借りて、見事男の正体を突き止めていく。膝が痛いといいつつもひとり淡々と調査を進めていくマットの仕事ぶりに老いの翳(かげ)は見当たらない。それもそのはず、マット夫妻は若いエレンを交えて3Pに挑むのだから!
本書には11編の短編が時系列に併録されており、シリーズ未読の読者でもすんなりマット・スカダーの世界へ入っていける。 <狸>
(二見書房 2500円+税)