「ゆれる階(きざはし)」村松友視氏
物語は冒頭、母の葬式に参列するシーンから始まる。異父妹に棺に近づくように促された「私」は、母を見て「二度目の死だな」とつぶやく──。
「今回、この自伝的小説で、初めて正面切って母親のことを書きました。これまでも家族のことは書いてきたけれど、母親については触れてこなかったんですね。それが近年、母が亡くなったとき、『二度目の死』という言葉が浮かび、母を額縁にして小説を書こうと思ったんです」
本書は、自身の半生を軸に、突如知らされた「実母」との複雑で入り組んだ関係を描いた異色の自伝的長編小説。幼少期から近年まで著者である「私」の目に映った人間模様や世間を絵巻物のように鮮やかに紡ぐ。
事の始まりは、作家・村松梢風の長男にして、著者の父・友吾が27歳で病で亡くなったことだ。当時、著者を身ごもっていた母は20歳。その行く末を案じた梢風が、生まれてきた著者を自分の子として籍に入れたのだ。かくして著者は「両親は死んでこの世にいない」と聞かされ、祖母と2人、静岡・清水市で過ごす。一方、そうしたレールを敷いた梢風は鎌倉で愛人・フクエと暮らしていた。
「両親がいないことについては自然に受け入れていました。だから、母を恋しいとも寂しいと思ったことも、一切ないんです。近所にいる親戚の家と交流があり、叔父たちが時折、祖母の様子を見に来る。正月には一緒に餅つきをしたり、疑似家族的な空間があり、僕に特殊な環境だと感じさせないシステムになっていましたね。僕自身は、友達の家庭とは違うことを、どこか面白がっていた面もあります」
著者が小学校4年生になると、梢風が暮らす鎌倉の家を行き来するようになる。作中にはフクエが作る洋食、水谷八重子など梢風のなりわいからくる華やかな人間関係など驚きをもって描かれる風景、一方で祖母との絆を意識する著者の心の動きなどを詳細に描写。また折々に梢風の作品の一部を引きながら、子どもにはうかがい知れない当時の事情を浮かび上がらせていく。
やがて著者が中学3年のとき、衝撃の事実を告げられる。フクエに「お母さんは生きている」と言われたのだ。しかも富士宮のおばさんとして知っていた人だった。
■プロレスに味方するのは自分自身の投影
「子ども心に思ったのは、重いテーマを背負わされたなということでした。と同時に、この秘密はおばさん(フクエ)ではなく祖母から聞くべきだ、と。しばらくして祖母から聞かされましたが、どこか人ごとのように受け止めていましたね。母の生存を当然の喜びと受け入れられない自分はゆがんでいると強く自覚しました。僕は、今でも母子の絆がもっとも強い、とする発想にアレルギーがあるんです。世間から軽視されがちなプロレスに味方するのも、自分自身の投影なんでしょうね」
母との対面は大学3年のとき、梢風の葬儀だった。やはり、うれしさはなかった。交流を持つようになったのは、著者が結婚し、夫婦で遊びに行くようになってからで、晩年には「お母さん」と呼んだこともあった。その母は今から7年前、97歳で亡くなった。
「やはり寂しい、はないですね。一生、そういう気持ちは持ってはいけないような気がしているんです。だって、寂しさを感じないことで、満喫した世界があったわけですから」
型破りな梢風が築いた虚構の世界を生きた人々の群像劇としても楽しめる。
(河出書房新社 2178円)
▽村松友視(むらまつ・ともみ) 1940年、東京生まれ。慶応義塾大学文学部卒。82年「時代屋の女房」で直木賞、97年「鎌倉のおばさん」で泉鏡花賞を受賞。著書に「私、プロレスの味方です」「夢の始末書」「老人のライセンス」ほか多数。