北村匡平(東京工業大学准教授・映画研究者)
3月×日 コロナ社会の到来と共にケア論ブームとなった。その立役者・小川公代著「ケアする惑星」(講談社 1760円)を読む。「アンネの日記」に関して、父親オットーの編集版では、アンネが家父長的価値に反逆している箇所が削除されたということに驚く。ケアラーとしての母への共感の声も歴史から抹消され、男性支配が温存される。最初期に物語映画を作った女性監督アリス・ギイが、映画史から長らく存在を消されたことを想起した。
どんな仕事につき、どれほど自分の家族に稼いでいるかでケアを表す人々に対して、家庭内のケアは数値化できないがゆえ、二次的な劣ったものとみなされる傾向にある。だが、その指標化できる労働は、育児や介護、家事など、さまざまなケア労働に支えられていることを忘れてはならない。
「ネガティヴ・ケイパビリティー」や「多孔的な自己」など、新自由主義を生き抜くヒントになる概念も紹介され、ケアする人に対する想像力が掻き立てられる。小説や映画で周縁化されがちなケアラーの声に耳を傾ける感性を与えてくれ、読者はこれまでの作品を別の視点から味わい直すことができるだろう。
3月×日 コロナ禍で仕事と育児の両立に疲弊した。唯一の楽しみは家族が寝静まってからの深夜のドライブ。安心な閉鎖空間で音楽を聴きながらコーヒーを飲んで夜の道を走る贅沢な時間だ。最近、名古屋にあるトヨタ博物館を訪れ、美しい車のコレクションに魅了された。車と映画はほぼ同時期に誕生し、ロードムービーの魅力を支えてきたのは車である。
ニール・アーチャ著「ロードムービーの想像力」(土屋武久訳 晃洋書房 2200円)は、いかに映画のモビリティーという魅力を車が担ってきたかが再認識できる良書。ゴダールもヴェンダースも、車なしにあの素晴らしい映画はできなかっただろう。「テルマ&ルイーズ」は男性中心だったこのジャンルのジェンダーロールを転覆したという指摘に深く首肯。移動が制限される社会で、改めてロードムービーに浸りたくなった。