「あけくれの少女」佐川光晴氏
「あけくれの少女」佐川光晴氏
舞台は1980年代の広島の尾道。両親と弟とで暮らす小学校5年生の真記には、心配事があった。それは本家の養女話がこっそりと持ち上がっていること。子どものいない伯父夫婦は優しく、行けば不自由のない生活が待っている。しかし、真記は、「どこで、どうやって生きていくのか、うちは自分で決めたい」と強く願う。
「土地をテーマにした小説を書いてみようと思ったんです。瀬戸内海に面し、起伏のある尾道は、映画『時をかける少女』を見たときから憧れていました。坂の上から海が見渡せるのがいいなぁと思ってたんです。映画では主人公はずっと尾道にいるんですけど、僕は、真記は故郷から旅立たせようと。大学進学で東京に行ったが……と構想を練ったところで、物語が動き出しました」
本書は1970年生まれの真記の少女時代から33歳までの物語である。昭和、平成と時代の移り変わりの中で成長していく様子がつづられるが、真記の人生はなかなかハードである。
貧乏ゆえ金銭にまつわる気苦労、進学の是非、英語教師の夢、また父親の浮気相手との対峙……。ややもすると深刻になりがちな話だが、対処する真記の知恵の働かせ方がユーモラスなタッチで描かれ、時に、破天荒だが筋の通った父親の言葉にハッとさせられる。やがて真記は東京の私大に進学。友人や恩師らとの交流から学んだことを血肉にし、たくましく生きるさまが浮かび上がる。
「真記が大学生になった80年代後半は世の中的にはバブルです。だけど、彼女はその恩恵は全く経験しない(笑)。それどころか、浮かれた空気感の中にいても真記は流されず、身を保ってみせた。それは、いい友人や恩師たちに『あなたはできる』と認められた感覚があったからなんですね。案外、そうした気構えが自分を支えるものじゃないでしょうか」
上京して1年半後のある日、真記は父親から手紙を受け取る。それは破産を知らせる内容で、手紙の最後には「お互い、どうにか生き延びて--」と結ばれていた。
真記は悲しみに浸る間もなく即座に中退を決意、翌日には東京を出発する。その切り替えの早さはあっぱれとしか言いようがない。
「この親にしてこの子あり、といいますか、先祖から伝わるものが真記の柱になっているんですね。無根拠だが野垂れ死にはしないと信じられる父親の気概は、シベリアにとられたおじいさん譲り。両親はどこかで生きているはずだから自分もどうにかする、と決断する真記にも受け継がれているんです。血縁の影響は大きいもので、その中で伝わる勇気や意思がある。今回、小説でそれが描けたんじゃないかと思っています」
真記は苦労をしながらも看護師になり、物語の中盤ではシップナースとして活躍する姿が描かれるが、バブルがはじけた30年前とコロナ禍の現代とを重ねたそうだ。
「コロナ禍、経済事情で中退や夢を諦めた人は多かったと思います。だけど30年前の真記の例を出すことで、頑張った先輩がいたぞ、負けるな、という気持ちがありました。親もね、どうにか生き延びてみせれば、子どもはやるはずだということも伝えたかったことのひとつです」
自分の意思と力で歩み続けた真記の結末はいかに。読めば、元気が出ること間違いなしだ。
(集英社 1980円)
▽佐川光晴(さがわ・みつはる) 1965年、東京生まれ。北海道大学法学部卒。2000年「生活の設計」で第32回新潮新人賞を受賞し、デビュー。著書に「おれのおばさん」(第26回坪田譲治文学賞)、「駒音高く」(第31回将棋ペンクラブ大賞文芸部門優秀賞)、「牛を屠る」「昭和40年男」「猫にならって」など多数。