「アンサンブル」志川節子氏
冒頭のシーンが強烈だ。大正元年のある日の早朝、新劇運動の旗手・島村抱月の妻が、家に居候する書生の中山晋平を起こし、手に抱えた用紙の束を指し「これを書き写して」と命じる。晋平はそれらの紙を見て、腰を抜かしそうになる。
〈まあちゃんへ キッス キッス……あなたのことを思えばただうれしい。世間も外聞もありはしない。すぐにでも駆けだして抱いてこようかと思うほどです……〉
島村抱月が、舞台女優の松井須磨子に向けて書いた熱いラブレターだったのである。
「抱月は島根県浜田市の出身で、私は同郷です。子供の頃“郷土の偉人”と習いましたが、大人に『どんな人?』と聞いても、もごもごする(笑)。のちに“松井須磨子と恋愛に走り、大学教授の地位も家庭も捨てて、一座の興行主に成り下がった人”と知りましたが、功績よりもスキャンダラスで語られるのを疑問に思っていたんです。本当はどんな人だったのか。抱月の一番近くにいた、後に作曲家として活躍する晋平の視点を通して、真実の姿に迫ってみようと、この本を書きました」
史実を忠実に、当事者たちの自然な気持ちの揺れや言葉を付加する描き方が、著者の真骨頂だ。
島村抱月は、明治4年生まれ。東京専門学校(現・早稲田大学)で、江戸時代の勧善懲悪の物語を否定し、人の心を描くべきだと論じる新劇運動の先駆け、坪内逍遥を師とし、「早稲田文学」執筆者・編集者に。逍遥とともに文芸協会を設立、明治42年から本格的に新劇運動を始め、時のインテリ層から脚光を浴びた。
「抱月は、家庭では7人の子供(うち3人は早世)の良きお父さんでもあったのですが、劇団の看板女優、松井須磨子と恋に落ちちゃったんです。須磨子は、一途に女優を志し、文芸協会の第1回公演『ハムレット』のオフィーリア役でデビュー。出演者全員のせりふを5日で覚えるなど、努力し続けた人です。抱月は彼女の女性としての魅力に加え、『自分が思い描いている奥の深い演劇を、彼女は演じてくれる』と、好きになったのだと思います」
抱月と妻の家庭内冷戦に晋平は翻弄される日々だったが、ある夜、妻は末子をおぶい、長女を連れて抱月と須磨子の高田馬場西側の松林でのあいびきを尾行する。見つかった須磨子が、なんと「死んでおわびいたします」と土下座した。一方、家に帰らされた抱月は「僕も死ぬッ。死なせてくれッ」とわめく。そして晋平に、「ぼくはね、ラブをしたのだ。四十二にして、ぼくは初めて……」と潤んだ目を見せるのだった。
それからほどなく、抱月は全ての地位を捨てる。須磨子らとともに新たな劇団・芸術座を旗揚げし、トルストイの小説を脚色した「復活」などヒットを飛ばすのだ。
「視線の軸である中山晋平は、後に童謡『シャボン玉』をはじめ、多くの流行歌などを作りました。抱月の恋愛には複雑な思いだったでしょうが、尊敬の念はおそらく変わらなかったのでしょう。芸術座に参加し、『復活』で須磨子が歌って大流行する『カチューシャの唄』など、素晴らしい劇中歌を作曲したんですね」
抱月にとって須磨子との激しい恋愛が血肉となり、新劇発展につながったのか。また、晋平は傍らにいたからこそ名曲を生み出せたのか。あれこれ想像して読みたい。
(徳間書店 1980円)
▽志川節子(しかわ・せつこ)1971年島根県生まれ。早稲田大学卒業後、2003年「七転び」でオール讀物新人賞を受賞。「春はそこまで 風待ち小路の人々」が直木賞候補に。「花鳥茶屋せせらぎ」「博覧男爵」のほか「芽吹長屋仕合せ帖」シリーズが好評。