「歳時記を唄った 童謡の謎」合田道人著
「歳時記を唄った 童謡の謎」合田道人著
「ちょうちょ ちょうちょ 菜の葉にとまれ~」
この歌はいわずとしれた、春の歌「ちょうちょ」だが、実は2番があることをご存じだろうか。「おきよおきよ ねぐらのすずめ」と続き、さらに3番は「とんぼとんぼ~」。4番では「つばめつばめ~」。なんと、ちょうちょの歌のはずがすずめ、とんぼ、つばめと変化していくのだ。
「『ちょうちょ』は“唱歌”で子どもへの教育の役目を担っているんですね。春のちょうちょ、夏のすずめ、秋のとんぼ、冬のつばめと日本の四季を教えているんです」
童謡とは、主に大人が子ども向けに作った歌のこと。大正時代に作家や詩人らが雑誌「赤い鳥」を創刊し、子どもたちのための歌を掲載するようになり、それ以降の歌を童謡とする解釈がある。そのため、唱歌やわらべうた、愛唱歌は童謡ではないという考え方もあるが、「一般の人から見れば、わらべうたも唱歌もなにが違うかなんて考えてないでしょう。僕は子どもが歌えるものはみんな童謡だと思うんです」と著者は言う。
本書は「童謡の謎」シリーズで知られる著者が、新旧の童謡を日本の季節や行事、文化に照らし合わせ、全36曲の誕生した背景とそこに込められた当時の思い、時には隠された意味合いを解説するものだ。
たとえば「しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ~」は誰もが口ずさんだことがある童謡だが、実は悲しい背景がある。作詞は野口雨情。明治41年、生後8日目の長女を亡くした彼は、十三回忌にしゃぼん玉の詩を書いた。
「1番の屋根まで飛んで こわれて消えた、2番の生まれてすぐに こわれて消えた、は子どもの命だったのです。この歌に秘められている思いは命のはかなさ、そして尊さなんですね」
大正12年の関東大震災がきっかけで広まった歌がある。「夕焼小焼」である。当時、輸入ピアノ店が購入者だけに「夕焼小焼」の楽譜を配布していたが、震災後、小学校教員だった作詞家・中村雨紅の義理の妹が子どもたちを勇気づけようと、燃え残った楽譜をもとに「夕焼小焼」を教えたのだった。
「被災した人々は素朴な歌詞に震災のあの日を思い浮かべ、胸をつかれ、自分たちのための歌と感じたのです。東日本大震災のときにも、復興支援プロジェクトのテーマソングとして『花は咲く』が広がり、今でも歌われていますね」
一方で、戦争にひも付いた童謡もある。昭和に作られた「ウミ」の「イッテミタイナ ヨソノクニ」は海軍の兵隊になり、船に乗り敵国を攻めたいという意味が含まれていた。
また、「里の秋」にあった「大きくなったら兵隊さんだよ うれしいな」という歌詞は、戦後、新たに書き換えられた。
「童謡は、童謡第1号の『かなりや』に表現されているような、人や物ごとに対して優しい気持ちを忘れないようにする大切な歌だと思うんですよ。だから、童謡の裏に隠された意味など知らなくてもいいんです(笑)」
ほかにも「雪やこんこん」でお馴染みの「雪」の歌は、降り積もった雪景色を思い浮かべるが、実はそうではない、と本書。“こんこん”ではなく“来ん来(こんこ)”。つまり“来い来い”と言っており、なんと雪はほとんど降っていないというから衝撃だ。
また「アルプス一万尺」の歌詞“アルペン踊り”は、実際にはそんな踊りは存在せず、登山家がザイルで岩場を登る際に時折、足を滑らせクルクル回ってしまうさまを例えたという。
意外な童謡の顔に驚き、ちょっと他人にうんちくを傾けたくなること請け合いだ。 (笠間書院 1870円)
▽合田道人(ごうだ・みちと) 1961年、北海道生まれ。高校在学中にシンガー・ソングライターとしてデビュー。音楽番組の構成演出、司会、CD監修、作詞作曲など多方面に活躍する。著書に「案外、知らずに歌ってた童謡の謎」シリーズ化、「全然、知らずにお参りしてた神社の謎」シリーズ化。