町田康(作家)
6月×日 人間は今を基準に生きているというか、頭では過去が現在があり、それが未来に続いていると考えるけれど、感覚的には今のことしか感じられず、昔の事についても今を基準に考えがち、と俺なんかは考える。だから昔はそれが常識で、誰もが、そんなものだ、と思っていたことも今となってはあり得ないってことが世間には仰山ある。
例えば切腹とかがそうで、今、国の偉い人とかが悪いことをしてバレても切腹はしないし、それを本気で望む人もまずない。切腹はこの世からなくなった。だから、「昔、そんなことがあった」で話は終わる。ただ、それそのものはずっと続いていて、今もフツーにあるから、今の感覚で、「最初からずっと今のようなものだったのだろう」と思っているが、実はいろんな紆余曲折があって今のカタチになったのであって、当初はまったく意味合いが違うものであった、なんてものも世の中には仰山あるのとちゃうけ? と思ったのは、二階堂尚著「欲望という名の音楽 狂気と騒乱の世紀が生んだジャズ」(草思社 2640円)を読んだからで、今は高尚な感じで、所得の高い人が聴いてる感じもするジャズが、そもそもそれが生まれた当時は、売春宿の賑やかしの音楽であり、みな麻薬漬けであり、やくざとの深い関係なしに生まれなかったり、且つ又、日本における進駐軍との関係などが生々と記してあって、今は芸術として祭り上げられているものが題名にある通り、そもそもは人間の欲望と狂気に根ざしていることを知ることができて、家で枕を投げて暴れた。
6月×日 そもそもどうだったかにばかり拘泥すると今を生きられない。だけど今を厭悪する気持ちは募るばかりだ。だけどこれを読んだら心が鎮まるような気がしたのは、渡辺京二著「近代の呪い」(平凡社 1760円)で、賢い人が頭で考えて拵えた世の中の、そもそものところの、あかんかったところが言ってあって心が慰められたので、家で茶を淹れて菓子を食い、草を見て黙想した。