門井慶喜(作家)
7月×日 世の中にはネコマンガ、ネコブログ、ネコ動画があふれている。これらを少し見るだけで荒んだ心がいかに深く癒やされることかと力説する人にも何人も会ったが、こっちとしては、いまさら流行に乗るのもおもしろくない。流行を嫌う頑固者と思われるのも面倒くさい。
そこで買って読んだのがキャスリーン・ウォーカー=ミークル著「中世ネコのくらし 装飾写本でたどる」(堀口容子訳 美術出版社 2640円)というビジュアル本だ。中世ヨーロッパでは活版印刷の技術がまだなかったので、本を作ろうと思えば手で写すしかなかったが、そのときしばしば挿絵が添えられた。豪華なものになると絵もうまく、色もあざやかなので、現代から見て一種の美術品になるわけだ。
そうした挿絵のなかにはネコの姿もある。何と言っても多いのはネズミとの組み合わせだ。ネズミを追う、両手で挟む、口にくわえる……もちろんそれ以外もあるのだが、やっぱりいちばん躍動感に富んでいるのはこの小さな「狩り」の瞬間だ。
それだけ人間にその役割を期待されていた、と見ることもできるだろう。著者による解説も楽しい。でもまあ、考えてみたら、装飾写本とは当時最新のメディアだった。そこでネコの躍動を楽しむのは現代の我々がネコマンガ、ネコ動画を楽しむのと変わらない気がしないでもない。
7月×日 ネコばかり見てもいられない。仕事仕事。いま私は「別冊文藝春秋」誌上で江戸時代の大坂の米市場の話を書いているので、参考書の一冊として萬代悠著「三井大坂両替店」(中央公論新社 1100円)を読む。
金貸しには金貸しの悩みがある。うっかり踏み倒されたら大変なので、たとえば依頼人が担保にと抱え屋敷を差し出して来たときには、実際に手代がそこへ行って価値の有無を確かめたという。
三井といえど、自分の身は自分で守らねばならないのだ。原稿そっちのけで読みふけって私はつぶやく。ネコでもゼニでも、歴史は繰り返す。