「武田の金、毛利の銀」垣根涼介氏
「武田の金、毛利の銀」垣根涼介氏
2023年、足利尊氏を題材とした「極楽征夷大将軍」で第169回直木賞を受賞した著者。受賞後第1作となる本作は、戦国の世を「経済戦略」という切り口で見つめ、ビジネス的なアプローチで戦を描き出した“垣根ワールド”全開の歴史冒険小説となっている。
「時代小説というと忠義モノのようなテンプレートがありますが、私は現代の人に読んでもらうなら現代の視点で描きたいという思いが強くある。本作も、戦国の世に限らず今起きている戦争にも通じる軍事費--銭の力を軸とした物語となっています」
時は永禄12(1569)年。岐阜から上洛した織田信長は、天下統一を果たすべく敵対する大名の財力を把握する方法を思案していた。
とくに警戒したいのが、湯之奥金山を持つ武田と、石見銀山を持つ毛利。どちらを先に潰すかは、これらの見定めが不可欠だった。
「兵力差も重要ではあるが、これを長期にわたって動かし続けられるか否かは財力にかかっていて、永遠に戦い続けられる者だけが生き残る。本作は“乱世の沙汰は金次第”という身も蓋もない話ですが(笑)、歴史上の戦争を見てもそれは明らかです」
武田と毛利の真の財力を把握するためには、理財の分かる人物を敵地の中枢に潜入させ、金銀の産出量や取引量が記された台帳を調べる必要がある。この危険極まりない任務を遂行するべく白羽の矢を立てられたのが、明智光秀。そして、光秀の盟友である兵法者の新九郎と、破戒僧の愚息だった。
実はこの3人、「モンティ・ホール問題」と呼ばれる確率論の切り口で光秀の無名時代を描いた著者による「光秀の定理」(2013年発行)の主人公トリオ。さらに本作では、密命の道中で出会った土屋十兵衛と名乗る奇天烈な武田の家臣も加わり、凸凹カルテットによるロードムービーの様相も呈していく。
「戦国が舞台の本作ですが、実は合戦描写はひとつもありません。合戦シーンはどうしても映像の優位性が高くて、小説では不利だと思うんです。一方で、合戦に至る過程や心理などは文字による表現の優位性が高い。だったら、私の時代小説では内面描写を濃密に描きたいと思っています」
本作が描く“銭の力”の背景には、戦の勝敗以外にも、もうひとつの真理が込められているという。それは、人間の生きざまや価値観だ。
「私が戦国後期を好む理由のひとつが、既存のシステムが変容し、“今”と似ている時代だから。滅私奉公以外にも、貧しくても自由を謳歌したり、自分の能力を生かして活躍するという選択肢も出てきて、その象徴が新九郎や愚息であり、今回登場する土屋十兵衛です。かたや、生活基盤は安定している一方で、“昔”の価値観にがんじがらめになり、信長に一切逆らえないのが光秀です。私にもサラリーマン時代があり、光秀の生き方は非常に理解できますが、本作を通じて人生の選択肢はさまざまあることを考えるきっかけにしてもらえればうれしいですね」
光秀らは無事に密命を果たすことができるのか。さらにもうひとつ、徐々に明かされていく土屋十兵衛なる人物の正体にも注目して欲しい。 (KADOKAWA 1980円)
▽垣根涼介(かきね・りょうすけ) 1966年長崎県生まれ。2004年「ワイルド・ソウル」で大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞の史上初となる3冠受賞。05年「君たちに明日はない」で山本周五郎賞、23年に「極楽征夷大将軍」で直木賞を受賞。そのほか「午前三時のルースター」「ヒートアイランド」「涅槃」など著書多数。