「赫夜」 澤田瞳子氏
「赫夜」 澤田瞳子氏
物語の主人公は、大中臣伯麻呂の家人・鷹取。駿河の国司になった主人の命で葛野(平安京)から駿河に同行したが、到着早々馬を逃がしてしまったせいで、代わりの馬を探すため軍馬を養う「岡野牧」で繁飼の支度を手伝う羽目になった。嫌気がさした鷹取は、鎌の修理を名目に出向いた「横走」で、富士ノ御山から巨大な黒煙が立ち上る姿を目撃。突然降ってきた灰と焼き石にまみれ、意識を失ってしまう──。
「平安時代には富士山は噴煙を上げる山でした。竹取物語でも、かぐや姫が残した不死の薬を山で焼いたから富士山から噴煙が上がっていると書かれており、富士五湖や青木ケ原樹海は噴火で平安時代にできたものです。風景を変わらないものと思いがちですが、私たちは刻々と変わる風景の一瞬を見ているに過ぎない。富士山の変化を描きつつ、噴火が起こすさまざまな出来事を探ってみたかったんです」
本書は、延暦19年に起こった富士山の噴火に巻き込まれた市井の人々を描いた歴史パニック小説。身分も低く、土地勘もない主人公・鷹取の目を通して、いつ終わるか、次に何が来るかも予測できない噴火に右往左往しながら、必死に生き抜く人々の姿をリアリティーたっぷりに描いている。
離れているから大丈夫だと過信していた場で、飛んでくる石にあたってケガする人や命を落とす人が続出。生き残っても、降り積もる火山灰が農作物や家畜の飼料をダメにし、食糧も足りなくなるのに移動も容易ではない。灰の重みと度々くる地震で、頼みの家屋も倒壊。離れた場所では変わらぬ日常があるのに、被災地は生き地獄と化すのだ。
「平安時代の噴火については、数十文字の史料しか残されていないため、江戸時代中期に発生した宝永噴火の資料をもとに噴火後の様子を描いています。また富士山には2度足を運び、富士山や火山の研究者の方からも詳しいお話を伺っていました。火砕流が流れる推定域も、ハザードマップをもとに被害を想定して描いたのですが、調べれば調べるほど怖くなりました」
物語には、噴火後すぐに逃げ出す者から、その場に執着して動けない者、避難所で差別を受ける遊女や山賊、混乱に乗じて盗みを働く者、噴火の記録を残すために奮闘する者など、さまざまな立場の人が登場する。
被災状況が中央に伝わらず、都からは蝦夷討伐準備の催促が来たり、交通網を復活させる道路整備が優先されたりといった状況も描かれている。交通の要の馬が使えなくなる事態は、新幹線が止まれば東西が分断して即混乱する現代にも重なる。3.11や能登地震を経た現在、本書の出来事がとても大昔の他人事とは思えない人も多いはずだ。
「旧約聖書の『かつてあったことはこれからもあり、かつて起こったことはこれからも起こる』という言葉が最近身に染みます。戦争であれ、病であれ技術や科学が変化しても人の行動は変わらない。人類の歴史は、らせん階段のように似たことが繰り返されていますが、どんな災害にあっても人間はしぶとく生きてきたことを本書で感じていただけたら」
なお、本書では著者が全冊に直接サインするという前代未聞の挑戦をした。サイン本が平等に手に入るように著者自ら提案したとのこと。ファン垂涎の一冊となりそうだ。 (光文社 2420円)
▽澤田瞳子(さわだ・とうこ) 1977年京都生まれ。2010年に「孤鷹の天」でデビュー。著書多数。13年に「満つる月の如し 仏師・定朝」で新田次郎文学賞、16年に「若冲」で親鸞賞、20年に「駆け入りの寺」で舟橋聖一文学賞、21年に「星落ちて、なお」で直木賞を受賞している。