婚前米国旅行からわずか3カ月で破局した梶芽衣子
<1974年1月>
1月9日夜、羽田空港に大勢の記者とカメラマンが詰めかけていた。午後7時30分、ロサンゼルスからのJAL61便が1時間半遅れで到着。まもなくロビーに梶芽衣子(当時26)が姿を現すと、一斉にカメラのフラッシュがたかれた。
「あんたたちナニよ!」と金切り声を上げる梶に「ラスベガスで結婚式を挙げたんですか」と質問が飛んだ。
梶は「冗談じゃないわ」と言い残して事務所が用意していたクルマに乗り込んだ。
その5分後、梶の恋人と噂される大手レコード会社のディレクターI氏(同33)が現れた。今度は逃がさないとばかり、記者たちはスクラムを組んで“とおせんぼ”した。記者のひとりから羽交い締めにされたI氏は「オレたちは婚約も結婚もしていない」と叫んだ。
梶とI氏が米国で挙式したとの情報が流れたのは前夜。
羽田に集まった記者たちが殺気立っていたのは、2人の旅行に女性週刊誌の記者とカメラマンが同行していたからだ。記者たちの脳裏に2年前の出来事が浮かんだ。72年2月、西郷輝彦と辺見マリが軽井沢で電撃挙式。この時も女性週刊誌が1誌だけ独占取材していたのだ。あの二の舞いだけは許せないと必死だったのである。