<第10回>宇崎竜童が語る「高倉健からもらったもの」
【四十七人の刺客 1994年・東宝】
監督は「炎上」「おとうと」「東京オリンピック」を撮った市川崑。内容は題名の通り、忠臣蔵である。市川崑はもともとアニメーターで、洒脱な作風の人だ。
市川崑は市川雷蔵、石原裕次郎、勝新太郎、仲代達矢と日本を代表する男優と仕事をし、「一度は健さんと仕事がしたい」と言って、オファーしたという。
忠臣蔵は群集劇だ。高倉健ひとりの演技だけがずばぬけていても、作品全体の評価にはつながらない。主演の俳優は共演者たちの動きがひとつになるようにリーダーシップを発揮しなくてはならない。そこをわかっている高倉健は俳優陣を引っ張り、共演者の実力を引き出している。
共演したうちのひとり、宇崎竜童によれば高倉健は常に全員の士気が上がるよう、心を砕いていたという。
「あの方はちゃんと共演者の演技を見ているのです。あの映画で、僕(宇崎)は堀部安兵衛の役でした。浅野家の家臣が街道で荷車を押していたら、敵の刺客とも思える飛脚が近づいてくるシーンがありました。そこにいた侍役の俳優たちはいっせいに身構える演技をするわけです。その際、大石内蔵助を演じていた高倉さんは離れた場所で休憩していたのですが、どうやら撮影シーンを見守っていたらしい。次に会ったとき、ぽつりとおっしゃったのです。『宇崎さん、あのシーンのとき、刀の鯉口を切っていましたね』……」