阿川泰子さんの「ジャズ歌手」人生支えた五木寛之氏の“至言”
そもそも、その映画に出させていただいたことも、ご縁でした。なぜかというと原作をたまたま読んでいたから。私の祖父は九州工業大学の前身、明治専門学校の第4代校長で、筑豊炭田の鉱炉を造ったりもして、深い関わりがあったんです。父もかの地で育ったので、すごく関心があったんですね。
そうした小説を原作とした映画に出させていただいたことで、五木先生にはいつかお会いできるという予感がしていました。ルーツが引き合わせてくれるな、と。
■「筑豊にご縁があるんだね」
だから、五木先生と婦人雑誌の対談のお話がきた時は、「やっぱりね」と思いました。日本舞踊家・武原はんさんの六本木の料亭「はん居」でお会いして、「青春の門 第1部 筑豊篇」の話のほか、私の祖父とか家族の話、映画「青春の門」に出演させていただいた話、ジャズの話などをさせていただきました。先生も「筑豊にご縁があるんだね」とおっしゃってくださって。
五木先生って映画俳優みたいにハンサムで優しくて。声もテレビやラジオでうかがっている声だわ! って感動しました。それで、すっかりファンになりました。