「あさが来た」新次郎のモデル 広岡信五郎は遊び人なのか?
「商いのことはよう分かりませんよってに。ほなさいなら」――主人公・あさや加野屋が窮地に陥るたびに巾着袋をグルグルやってややこしい話から逃げてしまう。朝ドラ「あさが来た」で描かれる新次郎(玉木宏)はまるで情けない男になっているが、こうなるとモデルとなった広岡信五郎が実際はどんな人物だったか気になってくる。
ホントにただの道楽好きの遊び人だったのか。歴史作家の加来耕三氏が言う。
「確かに道楽好きではあったようですが、昔の戦国武将が茶の湯を愛したように、当事の商人にとって謡や三味線はたしなみのひとつだったのです。社交場であるとともに重要な情報交換の場でもあった。実際、あさのモデルとなった広岡浅子に炭鉱事業を持ちかけたのは謡仲間から情報を得た信五郎でした」
■尼崎の市外局番が大阪と同じ「06」の謎
後に信五郎が尼崎紡績(現・ユニチカ)を創業するのは朝ドラ好きの読者ならすでにご存じのことだろう。当時、すでに広岡浅子は念願の加島銀行や貿易会社の広岡商店も経営していたことから「尼崎紡績も浅子のアイデア?」と勘違いされそうだが、実は違う。これまた信五郎自身が謡曲の仲間たちから「これからは紡績業」と聞き込み、事業を起こしたものだ。