大阪で活動していた丘みどり 徳光和夫の歌番組で上京決意
演歌歌手の前に、アイドルグループでデビューして、関西の深夜のバラエティー番組に出ていました。アイドル活動も楽しかったのですが、1年ほどした時「私、何がしたかったんやっけ?」とハタと立ち止まってみました。5歳から祖母と一緒に民謡を習い、演歌好きの母の影響で演歌歌手を夢見ていたのに……。
事務所を辞め、大阪で音楽専門学校に2年間通い、カラオケ番組で中村美律子さんの「河内おとこ節」を歌い、スカウトされました。でも、なかなか大きな舞台には出ていけませんでした。同じ頃にデビューした子たちがテレビで活躍しているのを見るとなんで私は見てるだけなんだろう……と悔しくて。
■収録の日の夜、東京に出ることを決心
そんな時に徳光さんが見つけて番組に呼んでくださり、亡き母への思いを込めた「椅子」など2曲を歌わせていただきました。東京の番組で歌わせていただいたのはほとんど初めて。徳光さんは楽屋で「みどりちゃんなら、絶対、東京でも大丈夫だよ」と。背中を押してくださいました。収録の日の夜、宿泊先のホテルで、東京に来よう! と決心しました。