作曲家・都倉俊一さんの流儀 「オンザロックで最終確認」
その頃は広尾に自宅兼スタジオを持っていて六本木にはCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)、フォノグラム(現ユニバーサル・ミュージック)、ワーナーブラザーズ・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の本社がありました。それにレコーディングスタジオ、芸能プロダクションもあちこちに点在していて、みんな都合よかったんです。
■譜面が9割5分仕上がったところでオンザロック
行きつけは六本木の交差点そばにあった「ヒエン」、麻布十番で今も営業してる「三幸園」。両方とも焼き肉店でみんなでワッと行って1人2、3人前のお肉を頼み、長居しないで帰る。いてもせいぜい1時間。翌朝9時には次の仕事が待ってますから。
その時のビールは至福のひと時です。当時はレコードがたくさん売れてた時代。とくに担当したアイドルのイニシャル(新譜の初回出荷数)が数十万枚ってザラでした。だから翌朝一番からレコードのプレス工場はラインを空けて待ってるからね。ミスで延期なんてできません。
胃がキリキリするほどレコーディングに集中し、そのプレッシャーから解放された直後に飲むんだもの、おいしくないはずがない。もちろん若かったからできたことで、古希を迎えた今、徹夜して焼き肉にビールなんて到底、無理だけど。