若き日は俳優志望 いっこく堂さん語る“腹話術師への転機”
こう考え、区立図書館で「だれにもできる腹話術」という入門書を借りてきて、独学で腹話術に取り組みました。ラッキーだったのは、人形製作です。市販されていないどころか、おいそれと入手できないのが大きなネックだったのですが、民藝演出部の照明家・秤屋和久さん(故人)が「文楽人形の製作、修理に携わったことがある」とオリジナルで作ってくださったのです。
それが初代カルロス・セニョール・田五作君。さらに、2体の人形で同時腹話術に挑戦したいと要望したところ、ジョージ君も作ってくれました。これも民藝に所属したからこそ可能だったわけで、すごくラッキーでした。
そして91年暮れ。米倉さんに「退団して腹話術師になりたい」と相談したら、「いつでも戻れるように籍は置いといていいから」と休団扱いにして、背中を押してくれたのです。それだけではありません。後日、さまざまな団体に出演交渉に出向く際に紹介状を書いてくださいました。それには、「私の人生でたった一人の弟子」「人々を笑わせるだけでなく、安らぎを与える芸人である」「魂の芸人」などと、身に余る推薦のお言葉が便箋5、6枚にびっしり。