所ジョージ<前編>哲学者であり、自己流を貫き通す“求道者”
ドワンゴの仲間が言うとおり、確かに看板番組やMCの仕事が多い。その理由は「長寿番組ばかり」「何か“所さん風”ともいうべき独特の味」という、他にはできない絶対的な理由があるからだ。
30年余のテレビ屋稼業の中で、厳密な打ち合わせを神経質に要求する司会者や本番の出来が悪いと激高する演者さんも正直いた。しかし、所さんは番組の収録が終了した後でも「今日は面白かった」と絶賛したり、「今日はつまらなかった」と苦言を呈することは一切なく、飄々と帰っていく。ただ、所さんの感想は本番に表れる。面白ければ興味津々な顔をしてのぞき込み「これ……面白いねぇ」と言ってくれる。逆にイマイチなら反応は薄くなる。それが視聴者の反応と重なっていて、所さんが面白がってくれた企画(回)は評価が高い。だから所さんが満足しているかどうかが我々制作側の指針になる。とはいえ、所さんに媚びるのではない。所さんは本物と偽物、茶の間の視聴者の捉え方を瞬時に判別する能力を持っているので、全スタッフがそれに合致するように構成していけば、真っ暗闇の中で一本の懐中電灯を持っているがごとき“基準”や“安定感”や“品格”のようなものを与えてくれる。極端なもの言いをすると、所さんが喜ぶような企画や演出手法を取れば茶の間も喜ぶし、数字(視聴率)も安定し、結果的に長寿番組になるのだ。
所さんのブレない視点は、まさに“テレビを導く哲学者”。日本テレビで言えば「世界まる見え!テレビ特捜部」「笑ってコラえて」「目がテン」などがその例だが、逆に言えば、これが合致しないと、いくら所さんの番組でも短命に終わってしまうのである。