昭和の俳優はビクともせず…不倫取材の核は「本妻」にあり
映画界屈指のプレーボーイだった松方弘樹の最初の不倫でも、妻が離婚に対し態度を硬化させたのも愛人の存在だった。
松方の女性関係は京都では当たり前。太秦撮影所に行けば「今日は祇園のA子」「この間の子は先斗町だろう」という会話が自然に入ってきた。とはいえ、そんな話をまともに記事にはしない。笑って聞いていた。
しかし、不倫相手が仁科明子(現・亜季子)では話は別。週刊誌が大々的に報じた。本妻だったN子さんとの間にはすでに1男2女がいた。当時の取材では仁科の存在が公になる前に松方はN子さんに離婚を申し入れていた。
松方は撮影でほとんど京都。東京に住む妻とは別居生活。それが突然、離婚と言われてもピンとこなかったN子さん。半ば諦め、離婚を受け入れる気持ちに傾いていたときに仁科との不倫が発覚。N子さんを慌てさせた。赤坂にあった家で取材に応じるN子さんは逆取材に出た。
「今、2人は一緒に住んでいるの?」「仁科さんのお父さんって有名な歌舞伎役者(岩井半四郎)でしょう」と聞いてくる。
各メディアから取材した結論は、「仁科さんと結婚するために私と離婚したいのでしょう」だった。離婚を硬化させた要因だと思うが、最後は子供のためもあり、離婚を決意。慰謝料は3億円といわれた。(つづく)