試合描かず 異色作「アルプススタンドのはしの方」狙いは
いつもと違う夏を多くの人がいろいろな思いを抱きながら過ごしている。思いの中身は人によって異なるだろうが、甲子園の高校野球を楽しみにしていた方々は多かったに違いない。もっか関係者のみが客席から試合を見つめる交流試合の真っ最中だが、折も折、甲子園を舞台にした作品に遭遇した。「アルプススタンドのはしの方」というタイトルをもつ。高校演劇の戯曲を映画化したもので、小品ながら、何とも後味が良く、この夏の一服の清涼剤のような趣がある。
甲子園が舞台なのに、選手たちの活躍を描くわけではない。客席の端っこ、アルプススタンドに陣どる高校生たちの密やかながらもなかなかに闊達な物語である。映画を見ての帰り際、エレベーターの中で40代と見受けられる男性が「(登場人物たちの)言葉だけで野球の試合を見ているようだったね」と、相方の女性に話しているのが耳に入ってきた。
正直、この言葉に驚いた。本作の大きな魅力がそこにあるからだ。あふれ出てくるようなセリフの数々が、映像には出ない試合の臨場感を見る側にイメージさせる。本作の狙いの一つもそこにあるのだが、簡単に伝わるものではない。さきの言葉はそれが観客にしっかり届いていた証でもあろうか。筆者も映画に登場する高校生たちの会話の流れと、映像には現れない試合や選手たちのことが、何回も頭の中で二重写しになった。
もっとも、最初は甲子園の応援に嫌々駆り出された女子高校生2人の会話にイライラさせられた。野球を全く知らない2人なので、あまりのとんちんかんぶりが見る側の気持ちを萎えさせるのだ。しかし、実はこのやり取りこそが巧妙な伏線だと次第にわかってくる。そしてそのあたりから、グングンと映画の勢いが増していく。会話の積み重ねがあるからこそ、映像には写らない本物の試合がいつの間にか見えてくるようになる。会話の中で女子に人気の選手やある部員の名前が何回も連呼される。どんな奴だと知りたくなってくる。実際の野球の試合とともに具体的な人間像までイメージさせる。なかなかにダイナミックな作劇術だといわねばならない。