コロナ禍の今こそ渡辺えりは救われた「本職」に精を出す
「上京した原因っていうのは、(大好きな)ジュリーと会って共演する、あわよくば結婚するみたいな。それと世の中を平等な社会にするっていう、この2つで。バカでしょ(笑い)」(NHK「スタジオパークからこんにちは」13年6月10日)
そんなふうに笑う彼女だが、両親からの期待と自分のやりたいこととの間で進路に迷っているとき、「ガラスの動物園」という演劇を見て、救われた。その経験を機に、高校を卒業したら上京し、演劇の世界に身を投じる決意を固めたのだ。
23歳の時、専門学校の仲間と劇団を旗揚げ。極貧の生活だったが、「プロをめざして夢いっぱいの私は、お腹が空いていても、週1回しか銭湯に行けなくても、おしゃれができなくても、まったくつらいと思ったことはありませんでした」(金融広報中央委員会「くらし塾 きんゆう塾」2016年秋号)と振り返る。
28歳で岸田國士戯曲賞を受賞したのを皮切りに、役者としてもドラマ・映画に進出。商業的に成功した現在も演劇の世界ではお金の苦労がつきまとう。それでも演劇を続けるのは「自分の演劇が一番面白い」という信念があるからだ。
コロナ禍で演劇界は大打撃を受けた。だからこそ「苦しい時、つらい時には生の舞台を観たいと思いますし、自分もお客様の心に寄り添うお芝居を届けたい」(中央公論新社「婦人公論」20年6月9日号)と語る。そう、自分が演劇に救われたように。