大蔵貢社長の独裁で「新東宝」に歪み…“エログロ路線”も下降線をたどる
この証言にもあるように、後年、沢村忠として一世を風靡する白羽秀樹少年だが、どういった経緯で新人オーディションに合格し、同期には誰がいたのか、まったく判然としない。史料も記録すら残っていないのだ。それより深刻だったのは、白羽が晴れて入社した新東宝はこの時期“大蔵ワンマン体制”の歪みが生じ、揺れ動いていたことである。
1957年「女真珠王の復讐」で日本映画初のオールヌードを披露した所属女優の前田通子が、新作映画で着物の裾をまくることを拒むと、激怒した大蔵は半年間の謹慎と罰金100万円を命じた。さらに、前田を他社の映画作品のみならずテレビドラマにも出演させないよう、各方面に圧力をかけた。
■「女優を妾にしたんじゃない。妾を女優にしたんだ」
大蔵のワンマンぶりはプライベートにまで及び、宴席に女優を呼び出し接待をさせるのは日常茶飯事。時には深夜の女優の自宅に上がり込んだ。事実、多くのセクシー映画で主役を張った女優の高倉みゆきとは公然の仲であり「あなたは、女優を妾にして高給を払っているのか」と問い詰める記者に「馬鹿を言え。女優を妾にしたんじゃない。妾を女優にしたんだ」と開き直った。