飯野矢住代誕生秘話<16>金子ノブアキ、KenKenの異母兄は生きていたら52歳に
午後5時半のことである。重い足取りで待合室に医師が現れた。面を上げるジョニーと辰子に医師はこう言った。
「飯野さん、大変お気の毒です。5時19分でした」
「週刊平凡」はこのときのことをこう書き記す。
《だまってうつむいたまま聞いていたジョニィが、こぶしで顔をぬぐった。やがて看護婦が、きれいに洗った死体を抱いてきた。〈24時間も生きられなかったんだなァ〉ジョニィは大きく肩をふるわせてこうつぶやく。矢住代に知らされたのは翌24日である。ベッドに寝たまま矢住代の右手が顔をおおった》(「週刊平凡」1970年1月15日号)
程なくして2人は亡くなった男児に、ジョニーの本名の信喜と、矢住代の本名の裕代から1字ずつ取って「信裕」と名付け、矢住代の戸籍に入れた。飯野信裕。ジョニーも父親として認知した。すなわち、ジョニーの長男で現在、俳優やドラマーとして活躍する金子ノブアキや、音楽プロデューサー、ベーシストのKenKenには、生きていたら今年で52歳になる異母兄がいたことになる。その事実だけは戸籍に刻んだのだ。